タスク管理原論
タスク管理とは何だろうか。そこで行われていることは、私たちにどんな意味があるのだろうか。
タスク≒やること、とは何か。
その定義からスタートする。
行動と意思決定と、自己実現に関する論説。
僕はいくつものリストを殺してきた。
ストレスフリーのタスク管理
タスク管理しても嫌な上司が消えて無くなったり、満員電車に乗らなくて済むようになったりするわけではない。
備忘録としての、マネジメントしての、より高次の。
目標と安心と。
自分が分離して、合理的でないことを実行できてしまう。
実行したくなくてもする。という効能
リストが色あせる問題
見通しとコントロール。高度によって異なる。
自分のリストを作ること。そのための自分の道具。
そのためのログ。人はログのために生きるにあらず。
状況と目的に応じたタスク管理。
少しずつ改善する。無限の欲求
セルフマネジメントの逃走線。
on time,on budget,on plan
管理する主体となる。しかし、その主体も何かの管理下にある。
締め切りを守る。他者の規範に従う。
確率論にさらされた自分。
判断(悩まなければ)物事はスムーズに進む
計画と不安
タスク管理と知的生産の共通点。
重要なことは、自らの存在を選択し、引き受ける主体となるためには、どうしても他者による承認を媒介にしなくてはならない、ということである。(中略)イノセンスを脱するために、まさにイノセンスであることへの他者の承認を経由しなければならないのは、このためである。
選ぶことさえ、できるなら
タスク管理が効率性のもとで求められる結果、非効率的な人間を排除する思考と親和性が高くなってしまう。
「やること」が一番多い人間が偉い、という弱者排除の考え方につながる危険性。
「やること」をうまくさばく力は必要。企業にとっては、メタ的なことを何も考えずに、与えられた「やること」を少しでもたくさんこなす人間の方がありがたいだろう。しかし、それが自分の人生にとって本当によいことなのかを考えるだけの余地(間)は設けたい。やるおわで、タスクの捌き方以外について触れているのも、その点がある。
主体的に生きていく、ということ。コントロールを手にする。しかしそれはコントロールフルであることを意味するのだろうか。
「やること」について考えること
自分のやることは何か。備忘録からスタートし、人生の目標へとつながっていく。
人は道具を作る。
自分で自分を作る(セルフマネジメント、自己実現)
道具作りは自己拡張
結果、自分の道具化を引き起こすのでは?
ノイズの話でもあり、自分の研究でもある。
でもってこれは、タスクリストの作り方でもある。
パターンアンチパターンノイズ
一日の組み立て方の考え方
タスク漏斗
ポタポタこぼれおちるイメージ。
自主性は大切だが、自主性が支配するタスク管理は怖い。
ビッグブラザー。
ゆらぎのない世界。
自己責任の世界。
優先順位に正解はあるか
何がしたいのか?が審級となる
ラカンとタスク管理
デイリーに生きる
管理と優先順位
タスク管理とプログラミング
メモとリストと賞味期限
定義の問題
優先順位は恣意的な決定。文章書きも恣意的な決定。
見通しとコントロール
ストレスフリーのタスク管理
そのものにストレスが?
タスク管理したからといってストレス発生源から解放されるわけではない
現実の要請があまりにも強くなりすぎて、呼吸がしづらくなる問題。
自分を騙し騙し。
やることの管理の対象がだんだん大きくなっていくと、やがて官僚機構と同じような問題が生じることになる。
分裂する自己。
そこからの脱構築は?
迷いをなくすこと
悩まなければ、物事はスムーズに進む
判断を削除する
選ぶことさえ、できるなら
自分の周りをコントロールしたくなってくる