コモンプレイス
興味がある資料
### commonplace bookとは「知的生産を想定して作られた読書ノート」
ルネサンス以降の西洋の知識人、特に英語を母語とする知識人の多くは、commonplace bookと呼ばれるノートーー稀にカード――を遺している。このcommonplace bookを機械的に日本語に直訳すると「決まり文句の本」となるはずであるが、「決まり文句の本」では、紋切型の表現を集めた本のようであり、意味が伝わらない。そこで、commonplace bookには、「備忘録」という訳語が当てられることもある。
しかし、この「備忘録」という訳語もまた、コモンプレイス・ブックの正体を適切に表してはいない。というのも、これは、たしかに、何かを記録しておくためのノートではあるけれども「備忘録」という言葉が想起させるようなもの、つまり、忘れてはいけない情報の雑多な集積ではない。
コモンプレイス・ブックをものすごく雑に説明するなら、それは、本を読んでいるときに出会った名言や感動した箇所を抜き書きしたり、本を読んで思いついたことを書きとめたりするノートである。
もともと、commonplaceという英語の名詞は、ラテン語のlocus communisに由来し、このラテン語は、さらに、ギリシア語のkoinos toposに由来する。これらを文字どおりに訳すなら、「共通の場所」ということになるけれども、この場合の「場所」とは、三次元空間のどこかを指し示すのではなく、文学や弁論術における「語り方の定型」のようなものを意味すると考えてよい。したがって、ルネサンス以降の西洋世界におけるコモンプレイス・ブックがcommonplaceの本である所以は――もちろん、「決まり文句」が集められているからではなく――このノートに書きとめられたメモの1つひとつが自分なりのcommonplaceであり、何らかのテーマに関する自分なりの語り方を形作るものである点にある。すなわち、何かについて意見を述べる場合の自分の語り方をノートにあらかじめストックすることが、コモンプレイス・ブックを作る意義であったことになる。
もちろん、何をコモンプレイスとしてストックするか、そして、これをどのような秩序のもとに排列するかは、ノートの所有者により一人ひとり異なる。当然、コモンプレイスがノートにストックされるとき、そのコモンプレイスには、もとの本において占めていたのとは別の新しい文脈が与えられる。したがって、自分が作ったコモンプレイス・ブックを読みなおすことにより、新たな発見や思いつきが生まれる可能性がある。もちろん、このような発見や思いつきもまた。新たなコモンプレイスとしてコモンプレイス・ブックに書き加えられるべきものであった。コモンプレイス・ブックの実質は、「備忘録」というよりも、むしろ、「知的生産を想定して作られた読書ノート」であると言うことができる。
コモンプレイス・ブックに情報が集積されて行くとともに、それは、書物からの引用を大量に含んだ自家製百科事典となり、(その生成の歴史を含めて)自分なりの小宇宙の表現となるはずのものであった。コモンプレイスの選択と配列の順序に、一人ひとりの個性が現われるからである。
16世紀以降、少なくとも19世紀半ばまで、イギリスとアメリカを中心とする多くの知識人がコモンプレイス・ブックを作り、また、コモンプレイス・ブックを作ることは、知的生産に携わる可能性がある者たちに対し広く推奨されていた。(ハーバード大学の図書館には、コモンプレイス・ブックのコレクションがある。)
ジョン・ミルトンやフランシス・ベーコンなどのイギリス人に始まり、トマス・ジェファソンやラルフ=ウォルド―・エマソンなどのアメリカ人を経て、ロナルド・レーガンやビル・ゲイツまで――commonplace bookの名がつねに用いられてきたわけではないとしても――書物を手がかりとする知的生産のためのノートには、すでに数百年の伝統があるのである。
### ジョン・ロックの「ノート術」
もちろん、コモンプレイス・ブックの作り方は、人により区々であった。コモンプレイス・ブックの作り方とは、自分なりの小宇宙の作り方であるから、これは当然のことである。
それでも、コモンプレイス・ブックを作る人口が増えるとともに、「コモンプレイスブックの作り方」なるものが考案され発表されるようになる。現代において、「ライフハック専業ライター」たちが「ノート術」や「手帳術」なるものを飽くことなく考案し発表しているのと同じことである。実際、アメリカの「ライフハック業界」では、すでにコモンプレイス・ブックの再評価が始まっているようである。
そして、この「コモンプレイス・ブックの作り方業界」(?)の歴史の初期に姿を現し、ある意味において非常に大きな影響を与えたのが、哲学者のジョン・ロックである。『人間知性論』と『市民政府二論』という2つの主著を持つロックは、23歳のときから世を去るまで、コモンプレイス・ブックを作り、その傍ら、コモンプレイス・ブックの作り方を発表している。ロックの手になる「摘要集の新しい作成法」(Méthode nouvelle de dresser des recueils) は、1685年にまずフランス語で発表され、1697年に「コモンプレイス・ブックを作る新しい方法」(“A New Method of Making Common-Place-Books”) という表題で英語に翻訳された。(フランス語版は、下のフランス語版著作集の391ページ以下に掲載されている。)
Oeuvres philosophiques de Locke : John Locke : Free Download & Streaming : Internet Archive
そして、この30ページに満たない短い文章は、英語圏では、100年以上にわたって繰り返し参照されることになった。(下が英語版。331ページから始まる。)
ロックは、このタイプのライフハックがよほど好きだったのであろう、自分自身のコモンプレイス・ブックの実例を掲げながら、コモンプレイスの選択と排列の方法を詳細に説明している。
ロックがこの文章において推奨するコモンプレイス・ブックの作り方とは、大雑把に言うなら、本を読んでいて目にとまったフレーズを抜き出してコモンプレイスとすること、そして、これに(ラテン語の)タグをつけ、このタグを用いてコモンプレイスを並べることである。すなわち、タグをコモンプレイス・ブックの見出しとして利用し、この見出しのもとに1つひとつのコモンプレイスを挿入することをロックはすすめているわけである。(もちろん、抜き書きされた引用をどのテーマに分類するかは、各人の自由である。)このように排列して置けば、特定のテーマについてのコモンプレイスをまとめて参照することが可能となる。
思想史的な観点から特筆すべきことは、ロックが、検索に必要な時間を短縮するため、ラテン語のタグ(=見出し)をアルファベット順とすることを推奨している点であろう。17世紀の末にはまだ、「アルファベット順」というのは、語の排列の仕方として必ずしも一般的ではなかった。当然、タグのアルファベット順にコモンプレイスを排列するかぎり、コモンプレイスを1つずつ順番に読んで行っても、共有されたタグ以外の連関をコモンプレイスのあいだに見出すことはできなくなってしまうけれども、この点もまた、ロックの意図した点であったに違いない。
ジョン・ロックの「A new method of making common-place-books」; 古典の規範から遠く離れて
イギリス・ルネサンスにおける引用辞典とコモンプレイス・ブック