カタルシスを求めるものが、いつのまにかロールモデルとして機能してしまう
痛快なストーリーは、
カタルシス
を与えてくれる。
それはそれで物語の一つの機能である
が、それが
ロールモデル
になるとしんどい
カタルシスを得られるようなものがいい→そうでなければいけない(
価値
がない)
これはフィクションも、人生のロールモデルも、どちらも「物語」という共通の
フォーマット
を持つがゆえに起こることである。
現実と虚構の取り違え、ということではない。
物語が、「かくあるべし」の
審級
になる、ということ。