なめらかさへの抗い
『三体 暗黒森林』
ズレ。なめらかさに抗うこと、さい、ごはい、エネルギー、モノリス。三体、差異の倫理、言葉と意味、自分と自意識、希望と絶望、わからない、読者のことを考える
なめらかすぎてはいけない
超法規的、お気持ち、いじめの構図、よすがが消えた世界→個人の気持ちが満たす世界
乗り遅れること
できごとを歓待すること
自己を異物化する
宇宙人だと思えばよい。自分を他人を。
デッドラインの描写
同性愛者に向ける視線の謎
わからない
分断とは異なる考え方を持つことではない。では、何か。
もしそうならばスムーズに「接げ」ば問題は解決するはず
作れるジグソーパズルには限界がある(心地よい絵は限られている)
不愉快さとの共存が必要
決してなめらかとは言えない
big brotherでもなく、little peopleでもなく、same stranger へ。
『マトリックス』から異世界転生へ
シン・ゴジラのポスターに「現実 対 虚構」とあったが、まさにそれは対立するものになってしまったのだろう。現実と虚構が作用しあい、イマジネーションを呼び起こすものとして機能しなくなった。あるいは、すべて「現実」になってしまった。
私たちは物語≒虚構≒幻想の中で生きているのだけれども、作られた物語はそれを相対化し、少なくとも「空気」ではなくしてくれる。
今は逆に徹底的に物語が空気になっている。なめらかに仕立てられている。政治的な偏りを持ったそれは陰謀論と呼ばれるが、見えない形でそれはもっと広がっているだろう。
メモ欄
自己と他者を単に対立させると、他者は外部であり、それは攻撃対象となる。かといって、自己と他者を単に融解させるならば差異は消滅し、何もかもが消えさる。差異を見立てつつも、そこにある種の穴を設けること。あっちに行ったり、こっちに行ったりが起こりうるような穴を。
効率性に向かって進むベクトルが強いからこそ、冗長的なものに価値を見出していく。前に前に進む(あるいはただひたすらに新しいものを求める)からこそ、過去を振り返って、まとめるようなことに価値を見出す。そういう叛逆が、個人的には好ましく感じる。 一方にいくだけならばそのシステムの把握は難しくない。行ったり来たりが起こるようになると、途端にそれが難しくなる。