この世界は複雑です、と言うだけでは、何も変わらない
しかし、バルコニーとリムジンのある家に生まれなかったすべての者、既成の秩序を揺さぶりたいと望んでいるすべての者、腐敗や国家の恣意や不平等や失業や展望のない未来に反発するすべての者、めまぐるしく変化する世界に自分の居場所を見つけるのに苦労しているすべての者が、イスラム主義運動に心惹かれているのです。そこでなら、彼らのアイデンティティの欲求も、なんらかのグループのなかに自分の居場所を持ちたいという欲求も、精神的なものへの欲求も、あまりにも複雑な現実をシンプルに理解したいという欲求も、行動を起こし反抗したいという欲求も、すべてがいっぺんに満たされるのです。
人は、できるだけシンプルに世界を理解したいという欲求を持っている。
それに抗うのが高度な知性であるにせよ、それを万人に最低限の基準として要求するのはハードルが高い
プロスポーツ選手並の身体能力を一般人に要求するようなもの
人は、自分をどこかに位置づけることで安心し、未来への希望を語ってもらうことで、意義を感じて生きてくことができる
それが、何かしらの知見からみて、仮に愚かしいことなのだとしても、否定することはできないし、してはいけないと思う。
であるならば、害にならない程度の希望を語り、害にならない程度の世界のシンプルな(しかし、シンプルすぎない)理解の手助けは、有用ではないか。
少なくともそれがなければ、カルト的な、あるいはビジネスチックな穴に人が落ちていくのを放置しているのと同じではないか。