かーそる第五号主稿「ライフハックの死と再生」アイデアメモ
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テキストおこし
ライフハックの死と再生
知的生産から仕事術への流れ。そこに自己啓発が合流したライフハック。
そのライフハックは死につつある。その結末は定められたものだったのだろうか。
今ではジョークのように扱われつつある。
ライフハックでエゴサーチ or トレンド検索
小さなコツ。体系にも組み込まれないようなものたち。
一週回って、それを肯定することはできないだろうか。
少なくとも、ライフハックは死に絶えてはいない。そしてそんなことは起こりえない。
代名詞としての「ライフハック」が消え去っても、私たちの人生から少しの工夫が消え去ることはない。
むしろ、現代でこそそうした野生のライフハックが必要なのではないか。
本稿では、そんなことを考えていきたい。
そもそもライフハックとは何だろうか。
定義
ITへの適応として生まれた。
その意味で、2000年頃から2010年頃までの「ライフハック」と言われたものは現代では必須のものになりつつある。必須の技術となりつつある。
しかし、そんな意味でライフハックは死んでいないと言いたいわけではない。
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かつてのライフハックがそうであったようにズレやギャップから工夫が生まれる。
ありのままでもなく、原理主義的革命でもない。ちょっとした工夫。それがライフハックのマインドセットであった。クールでもない、実に泥臭い、鮮やかでもない。そんなテクニック。
ズレはいつだってある
精神を外に合わせれば「マインドフルネス」になるが、そうはしない。
自分の欲望と環境に折り合いをつける。
中心がなくなり、大きな物語が崩れたからこそ「ありのまま」ではいられないのではないか?
むしろ、私たち個人が困難に直面せざるを得ない状況になっている。だからこそ、ライフハックなのだ。
とは言え、単純な再生(リピート)であっていいわけではない。むしろそれは新生であるべきだろう。
それこそがライフハックをライフハックたらしめる。
その定義とは?
小さな、改善、自主性
「自分の方法」を確立すること。そのマインドがライフハックの根幹。だからこそ楽しい。楽しめる。
一方で、かつてのライフハックはどうだっただろうか。
「社会」の要請にお行儀よく答えるだけではなかったか。
あるいは社会をまったく無視して、サイコパスのように「自由」に生きることではなかったか。
もしそうであれば、「死んで」しまっても仕方がない。
ライフハック2.0はそれとは違う道に進むことになる。
自己実現について
生産性について
情報環境について
これらを再定義していく。
それは理想の超人を目指すこととは違っている。
自分自身として社会と向き合うこと。
そのために必要なこと。
それで一定の「成功」を収めてしまったら、メディアが持ち上げてくるだろうが、極力そのゲームにはのらないこと。
そんな在り方。
目立たない人々の中に浸透している、決して欠くことができない工夫と技術。「自分の道具」をつくること。
そのようなバラバラの星たちが輝き、ときにメッセージを送りあう状況こそが、ライフハック2.0(ライフハック・ルネサンス)の目指すべき地点である。