『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』
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紀伊國屋じんぶん大賞受賞の臨床心理士・東畑開人氏が贈る新感覚の“読むセラピー”
家族、キャリア、自尊心、パートナー、幸福……。
心理士として15年、現代人の心の問題に向き合ってきた著者には、強く感じることがあります。
それは、投げかけられる悩みは多様だけれど、その根っこに「わたしはひとり」という感覚があること――。
夜の海をたよりない小舟で航海する。そんな人生の旅路をいくために、あなたの複雑な人生をスッパーンと分割し、見事に整理する「こころの補助線」を著者は差し出します。
さあ、自分を理解し、他者とつながるために、誰も知らないカウンセリングジャーニーへ、ようこそ。
【目次】
まえがき 小舟と海鳴り
1章 生き方は複数である 処方箋と補助線
2章 心は複数である 馬とジョッキー
3章 人生は複数である 働くことと愛すること
焚火を囲んで、なかがきを―なぜ心理士になったのか-
4章 つながりは複数である シェアとナイショ
5章 つながりは物語になる シェアとナイショII
6章 心の守り方は複数である スッキリとモヤモヤ
7章 幸福は複数である ポジティブとネガティブ、そして純粋と不純
あとがき 時間をかける
7つの補助線。
読むセラピー
時間が必要なもの
単純化できないもの
二種類のサポート
処方箋と補助線
心の処方箋
方向性を指し召してくれるもの
自己啓発、セルフヘルプな言説
心の補助線
複雑なものを一度シンプルな形へと分割して、再びそれらを結びつける。これが補助線の役割です。
心の補助線も同じことをします。それは複雑な心を複雑なままに扱う技術。
人生の難問
これからどうやって生きていけばいいのか。私は何を求めていて、何を必要としているのか。なぜ私はこんな人生を歩むことになってしまったのか。
それらは人生の難問です。普遍的な正答があるわけではなく、あっても役に立ちません。必要なのは、彼女が自分にとっての結論を出すことであり、彼女自身が納得のいく物語を見出すことです。
マネジメントとセラピー
第2章「馬とジョッキー」。力強い処方箋(自己啓発的アドバイス)が、塗りつぶしてしまうもの。主体化偏重により、葛藤が「なめらか」に均されてしまう。性急な決断と内省の省略。管理との距離感がおそらくは大切なのだろう。
“もっと、ジョッキーを。彼らはそう訴えます。
本当に必要なのは、馬の声を聞くことなのに。”
第3章「働くことと愛すること」。目的のために対象を手段とする「働くこと」と、それ自身が目的である「愛すること」。両者は支え合っているはずなのに、「働く」環境が厳しくなる中で「愛すること」も失われてしまう。いかにそれを回復させるか。
“だけど、意志とは「いる」が保障されていないと、発揮するのが難しいものだと思うのです”
第4章「シェアとナイショ」。前章の「愛すること」にさらに補助線を引く。傷つけないつながりと、傷つけあうつながり。困難に立ち向かうとき、まずは前者のつながりが必要だが、はたしてその関係性だけで十全なのだろうか、と問題提起。
傷つけあうリスクを踏まえてなお、新しい関係性を構築することもときには必要なのではないか、ということなのだろう。
第5章「シェアとナイショⅡ」。短い要約ができない章だった。まるで短編小説を読んだかのような読後感。さまざまな大切なことが書かれている。
第6章「スッキリとモヤモヤ」。心の守り方として、対象を非自己として排泄するスッキリと、それを抱え消化するモヤモヤとが二分される。スッキリは手軽で安全だが、自己はそのままであり続ける。モヤモヤはそこに踏み込む。
ただし、その使い分けは周りに依る。場合によっては、他者に助けを求めることも必要になる。
第7章「ポジティブとネガティブ、そして純粋と不純」。私たちのメタ目的としての「幸福」にまずポジティブとネガティブという補助線を引く。その上で、さらにそこに(メタ補助線として)「純粋と不純」が重ねられる。
このメタ補助線は、これまで出てきた補助線すべてに適応できるものであり、「も」の思想を支えるものでもある。事象を二分して、白黒をはっきりさせるのではなく、現実の解像度を上げてグレーな領域を認めること。濃い補助線(僕の言い方なら強い分類)を、むしろ掻き乱すための線引き。
そのようなシェイクの中で初めて生まれる「余地」(マージン)があるのだと思う。