「どうせ私なんか」という傲慢な思い込み
「どうせ私なんか」という思い込みは、自分の想像力において世界の可能性を限定している。
自分の想像力 > 世界の可能性
上記のときにしか、「どうせ私なんか」という思いは生まれてこない。言い換えれば、この世界における価値は、絶対に私の想像力の内側で決まり、それが覆されることはありえない、と強く信じている。 もちろん、誰しも「どうせ私なんか」と思ってしまうことはある。しかし、自分の想像力を越えた世界のあり方が受け入れられるなら、「でも、もしかしたら」とその思いを中和することはできるはずである。少なくとも、それを決定事項だと見なすことは避けられるだろう。