KJ法とアイデア
川喜田二郎によるKJ法は、ボトムアップ・アプローチによる全体構造化の極めて優れた手法である。ただし、広い認知、正確な認識はされていない。KJ法には新たな周知手段が必要だろう。 KJ法は、素材をして語らしむべしの哲学を持つ技法で、素材を断片と捉えれば、断片を扱う技法だとも言える。KJ法は断片から入り、全体を目指す、決して想定された全体にはじめから取りかかったりはしない。あらゆる断片を扱う技術において見習うべき姿勢がここにある。
断片からはじめることは、単に小さいものを寄せ集めて大きな構造物を作ることを意味しない。まだ無ぬ全体を向かうことを意味する。
KJ法は、ブレインストーミングから始まる。人が集まり、頭の中身をさけ出していく。一つの意味・概念・意見は1枚のカードに記される。断片化の処理と言えよう。それらのカードを出し尽くすところまでが1st stepである。 2nd stepでは、そうしたカードたちの小グループを作っていく。この点が、一番勘違いされるポイントである。その作業は、キーワードなどの共通項をもとにグルーピングする作業ではない。それでは単なるトップダウンと変わりない。このstepでは、それぞれのカードを読み、内容的に近いと感じるものを寄せ集めていく。重要なのは「感じる」という部分だ。それは客観的ではなく主体的であり、行う人によって変わりうることを示す。それこそが、KJ法におけるボトムアップの真なる価値である。
KJ法は直感を促すアプローチである。私たちが脳内で「考える」とき、2つの制約を持つ。1つは非断片化による新しい組み合わせの不活性化。もう一つは、机上の空論としてカテゴリだ。
私たちはすでに慣れ親しんだ指向をなぞる。なにかを全体として捉えると、その要素を組み替えるような思考が生まれにくい。あえてカード化し、外部化することで、改めて全体が要素の集まりとして認識され、新しい組み合わせを、言い換えれば、これまで脳になじみのなかった組み合わせが生まれてくる。
KJ法のもう一つの特徴は、断片化らを分類・整理するときにありがたいな、「よくあるカテゴライズ」を回避する点だ。「よくあるカテゴリ」は、新しい組み合わせではない。つまりそれはアイデアではない。KJ法は、アイデア生成指向である。
初出:2017.Jan.16