Cosenseでエントロピーが増えても問題ないのはなぜか?
この世界において、基本的にエントロピーは増えていくもの
最終的にエントロピーが極大化してエネルギーが取り出せなくなるのがこの宇宙の終わり方の一つ
生命活動は、エントロピーの増加に抗っている現象だと言える
ここでは情報整理におけるエントロピーにだけ焦点を絞る
整理されていない度合い、混乱の度合いとしてエントロピーを捉える
情報がただ増えていくだけの状態は、エントロピーの増加と言える
というか、情報が一つ新しく加わることで、情報空間そのものが広がる
広がっているのに、新しい「整理」が行われないなら、比率としてみた場合にエントロピーは増加する
情報空間の大きさが n →n+1
情報整理の度合い s → s
n+1がsしか整理されていないので、n:sに比べてエントロピーは増えている、と言える
ただし、PoICではカードを時系列に並べている
時系列もまた整理の一種である(だからユーザーはそのカードボックスを利用できている(エントロピーが極大なら利用すらも不可能になる))
よって、n→n+1において、sがまったく変化しないわけではない
しかし、意味(意味論)的な意味での整理は行われず、その意味では相対的にエントロピーは増えていると言える
Cosenseにおいても、それぞれのページはメタ情報を持ち、何らかの形で整列される
よって、その意味で整理はされているのはPoICと同じ
さらにユーザーは、二つのことを意識しておくと後から情報を使いやすくなる
タイトルを「自分が思い出しやすい」形にする
関連するページをリンクでつなぐ
これらも「整理」ということの一形態である(分類的整理ではないというだけ)
エントロピーの減少を手助けしている
Cosenseの一つのプロジェクトを閉鎖的な空間に見立てた場合、そこに新しいページが増えると、無秩序の度合いは増加する(それをエントロピーが増えると表現する)
ただし時系列などのメタ情報の付与は行われているので、無秩序さへの抗いは微妙にではあるが行われている
さらにユーザーの使い方の意識によって、さらにその抗いの強度は増える
ただしゼロにはならない
すでに確立されたカテゴリーに合わせて情報を保存するとき、無秩序さへの抗いは、先ほどよりも強いものになる(より整理された形で情報が保存される)
用途が固定的なものであれば(オブジェクト性が強ければ)その形の保存は適切だと言える
情報の整理を、情報を後から使えるようにするための方策だと定義するならば、整理されていない情報は使えない
(大きな袋の中にカードが入っていて、中を見ることなく一枚ずつしか取り出せない状態をイメージすればいい。あるいは、文字の並びがバラバラになっているカードでもいい。秩序はいろいろな段階に、いろいろな形で存在していて、だからこそ私たちは情報が使えるようになっている)
PoICは時系列に並べるという形で情報のエントロピーを減少させているが、一方で、すでに確立されたカテゴリーに置くという意味的なエントロピーの減少は担っていない。
どのような意味付けで「使うのか」という整理はなされていない
それは後々の再生産で行われる
つまり、意味づけ的な整理を遅延させている
検討すべき点は以下にあるだろう。
人は、脳の中のエントロピーが高いと、ストレスを感じたり不安になります。そこで、紙に書き渡すことで、脳の中のエントロピーを減らします。
「脳の中のエントロピー」が高いと、人は「整理したさ」という動機づけを持つ。
人は、脳の中のエントロピーが高いと、ストレスを感じたり不安になります。そこで、紙に書き渡すことで、脳の中のエントロピーを減らします。その代わり、ドックの中のエントロピーは確実に増加していきます。脳とドックを一つと考えると、その中でエントロピーはほぼ保存しています
紙に書き出すと、脳内のエントロピーは減少し、代わりにドッグのエントロピーは増加するとある。
つまり、エントロピー増加の肩代わりが行われている
この理論はどこまで有効だろうか。
「脳の中のエントロピー」という言い方が、たとえ以上の機能を有しているのか。
それはファイルシステムと同じように閉鎖的な系であるのだろうか。
脳とドックを一つと考える
これはセカンドブレイン的な感じである。
しかし、ルーマンはカードボックスと対話し、そこから議論を起こすと述べた。
つまり、新しい情報を増やすことだ。
エントロピーの議論は当てはまらないように思う
新しい情報を見聞きする→それはうまく位置づけられていない→もやもやした感じがある→それをカードに書きつけていったん忘れる→カードボックスにカードが増えるが、その時点ではまだ整理しない→時間が経った後で再生産して整理する
こういう流れを「エントロピー」という概念を用いてうまく説明しているわけだが、
心の中が「整理されていない」ということ、そして紙に書けばすっきりすることを「エントロピー」という概念がうまく適合するのか、という疑問がある。
一方で、カードボックスの中の無秩序さをエントロピーと呼ぶことは実態に即していると言えるだろう。
前者はあくまで比喩として、後者は実際の「エントロピー」なのではないか。
それが同じもののように言われると微妙な混乱が生じる。
「Cosenseでエントロピーが増えても問題ないのはなぜか? 」という問い立てについては、
時系列などのメタ情報が付与されている(機械的な整理がある)から
というのが第一の答えで、第二の補足的な答えは、
タイトルやリンク付与によって、さらに整理できるから
ということになる。で、そのような利用者の姿勢がなく、ただ情報を追加していくだけのCosenseであればやっぱりうまく使えないだろう。
それよりも考えたいのは、「情報整理におけるエントロピー」だ。
むしろ秩序と混乱という用語で考えた方が正確だろう
もっと言えば、
脳の中のエントロピーが高いと、ストレスを感じたり不安になります
この点こそが知的生産において重要だと言える
物理学的なエントロピーの増大とは、世界が均質化していくことを意味する
すべてが均質化すると差異がなく、差異によってエネルギーを生み出せなくなる
牛乳がコップから床にこぼれるとき、牛乳を構成する分子が場所的に固まっている(局所的に存在する)状態から机の上に広く散らばっていく状態に移行する。ある塊がほどけて広がっていく。
この世界のエントロピーが増大するというのは、世界にとってそのような形の方が「自然だ」ということになる
有機生命体は、そのような分散に抗って、局所的に分子を一つの形に留めている(だからエントロピーに反抗していると表現できる。当然そうした生命活動が終われば、分子は世界に広がっていく。
エントロピーの増大が物質的なものの均質化であり、エネルギーを取り出せない状態に向かうことだとして、それを情報的に考えるなら(シャノンの情報理論とは別口で考えるということ)、情報が均質化して、そこから新しい知的なエネルギーが生み出せないことを意味することになるだろう。すべての文字がAならば、あるいはすべての人が同じことしか言わないなら、私たちの知的生産は駆動されなくなる。これが情報的(意味的)なエントロピーの増大ということになる。
「脳の中のエントロピーが高い」がこの意味では使われていない。むしろ、それを整理したくなる気持ちが刺激されている。つまり、そこには潜在的な(知的)エネルギーがある。だとしたらそれはエントロピーが高くなっているとは言えないのではないか。
あるいは、人間(というか生命活動)はエントロピーに歯向かう減少であり、無秩序的なものに耐えられない性向があるから、情報を見たときに整理したくなる、という風に言えるかもしれない。
でもこれは、自由エネルギー原理や、認知的負荷の軽減だけで説明できるだろう。目に入ると疲れるから、それを整えたくなる。気になることが多いから、整理したくなる。
この世界のあらゆるものは、何も手を加えなければエントロピーが増大する方向に向かっていく
意味を持つ「情報」もそこに入る
私たちが行う情報整理とは、そうしたエントロピーの増大に抗う行為である
秩序を与え、そこから何かを取り出せるような形で整える
どのような秩序がよいのかは、「使い方」によって決まってくる
すぐに秩序づけるのががよいものもあれば、一定の間貯めておき、それらが生成するコンテキストによって(つまり遡及的に)秩序づけるのがよいものもある
たぶん上記のような説明でいいのではないか。脳内のエントロピーとかドッグ内のエントロピーという説明は、ややこしい気がする。箱の中でエントロピーを増やしているのではなく、そもそも何もしなければエントロピーというのは増えていくものであり、「箱の中」という閉鎖的空間を作り(これもエントロピーの減少に一役買っていることには注意を向けるべきだ)、4つのタイプを与え(同様)、時系列に並べるという形でそれぞれエントロピーの増加に抗っている。ただ唯一、意味的な秩序付けを遅延している。要素が集まらないと見出せない意味付けはたしかにあるから。
で、私たち生命体は物質的なエントロピーへの反抗装置であると共に、人間は意味的なエントロピーへの反抗装置でもある。それはそうする方が脳にとって快適であるからだろう(認知的に楽になる)。ドッグを使って意味付けを遅延させる行為は、そうした人間の整理欲求に対する反抗装置でもある。