2025/7/16
001. 問題意識に読者の意識を近づける
本書をざっと見ていくと、非常に抽象的に書かれています。扱う概念もそうですが、書かれ方が特にそうです。「私」「著者」というのはありません。これはコラボレーションで書いたせいもあるでしょう。でも通常の本だと、何か個人的な体験から生まれてくる問題意識があって、その問題意識がたちのぼってくる個人的な体験プロセスが、一般の読者に訴求するにあたってはとても重要です。
本の書き方として覚えておきたい。
自分のローカルや情報ツールにどう情報を保存していくのか、というのと人間と生成AIの両方の視点から考えていく必要がある。
LLM親和性という言葉もある
再び反映させてもらった。ありがとうございます!
うまく動いていてなにより(それができているのもCosenseのすごいところではある)
改良案としては、今表示されているページの項目は太字にするとか、参照元のページタイトル(例でいえば、「42.21 Zettelkasten的なナンバリング」)も付与するとかがある。
現状、表示を書き換えるかどうかの判断に、innterTextとの比較を行っているので、そのロジックが若干ややこしくなるが、まあ対したものではない。
あとは以前考えた、ページが表示されたら即座に表示する、というものも。
これは機能的に大きいところ。
テキストではなく、リンクで表示されてクリックできてもいい
実際に実装するかは別にして、アイデアとして書き留めておく。
004. 前後のページ移動+?
接頭ナンバーをつけることで、タイトルだけでグルーピング及び順番を与えられるシステムだとして、それとは別に、Cosenseの「横移動」とinfoboxの上に表示させるものを組み合わせるとどうなるか。
現状はボタンをクリックして移動しているが、テキストとして前後のページへのリンクが表示される。
場合によっては、前後のページだけでなく、関連リンクすべてでもいい(その場合、接頭ナンバーなしのRINK的なことになる)
それだと「書籍名」はめちゃくちゃ長大なリストになってしまうな。前後最大五件ずつとかの方がいいか。
普通に前後だけでもいい
ボタンでの移動の違いはクリックする前に移動するページが何なのかわかっている点、そうでない点。
で、アナログのノートのページをめくるときは、むしろわかっていない点が特徴ではないかと以前分析した。
005. なぜ本棚の整理は進まないのか?
怠惰である、といった性格に由来する説明を排除して解答を試みよ(20点)
006. 場の文脈に根差した重層的な秩序
a structure that arises from the wholeness of the context
「生きた空間」(living structure)を生み出す鍵は、形式的な図面や単機能的なデザインではなく、「場の文脈に根差した重層的な秩序(a structure that arises from the wholeness of the context)」にあるとする考え方。
006.01 生きた知識を生み出す鍵もまた場の文脈に根差した重層的な秩序にある
重層的な秩序が、いわゆるネットワーク型ということ。
ルーマンが、一つのカードを複数のコンテキストで参照していた、というのに通じる話。
場の文脈に根差した、というのも自分がすでに書いたカード群に位置づけるという話に重なる。
007. AI時代のソフトウェア開発を考える(2025/07版)
Agentic Software Engineering Findy 2025-07 Edition | Speaker Deck
読むべき内容がたくさん含まれている。
007.01 さまざまな知見から「考える」
さまざまな知見を統合し、体系化するのではなく、必要に応じて参照し、自分の考えを前に進める助けにする
ライブラリであるかのように書籍(の知識)を使う
仕事術や知的生産の技術でそれを行いたい
タスク管理、知的生産の技術、ノートを書くことにも応用できる考え方
プログラミングというレイヤーと、ソフトウェアエンジニアリングというレイヤーを分けて捉えること
008. Teddy Swims - Bad Dreams (Official Music Video)
https://www.youtube.com/watch?v=Qh8QwVYOSVU
010. Inventing on Principles
自分にとっての原理・原則を発明する
自分のテーマを見つけ出すと通じる話
011. 学校は社会的なものから隔離されているからこそ
鳥羽 だから、社会から学校に対する矢印、つまり「社会でうまくやっていける人を育ててほしい」という期待は、私はもう全部ぶっ潰すべきだと思います。学校が学校として自立して、先生たちのそういう社会性のなさこそを生かして運営するべきです。「会社で使える力」なんかより、学校としてできることの、ラディカルなあの力こそをとにかく子どもたちに与えたらいいと思うし、それに集中してほしい。これは、小中学校だけでなく、大学までずっとです。
学校Schoolは、ギリシア語のshcole (スコレー)、ラテン語のschola (スコラ)から来ている。
暇、余暇ということ。
社会的な、あるいは日常生活を支えるために必要な活動でない領域で行われてきた
今の日本学校、あるいは教育は企業の「即戦力」を育てているという意味で、スコラでもなんでもなくなっている。
社会に「役立つ」人間を育てる機関