2025/5/31
from 2025/5/30
本日は2025/5/31。わりと晴れているかな。
メンバー向け配信=>Cosenseに記事を読んで思いついたことを書き留めた後のチャレンジ | メンバー限定記事
ひとまず、2025年5月読書会メモを作成。
個人的な印象では、ちょっと不完全燃焼かなという感じがある。
エンジンが暖まるには、時間がかかる
/anfieldroad/📅2025-05-30
最近の関心はすっかり「ゲーム」と「演劇」だ。退屈になりがちな練習を楽しく持続できるように「ゲーム」を、必然性のないコミュニケーションに輝きを生み出す「演劇」を。
ゲームと演劇は似ている。RPGならばまさに「役になり切ること」である。
現実(リアル)との距離感か?
デイリーログがログするもの
プラットフォームとしてのデイリーログ
さまざまなtypeのものを、ひとまず区別せず載せられる
/jinJIN/2025/5/30
僕は明日5月31日が誕生日なので、一日違いのニアミスです。
おめでとうございます!
心身症とはなんだろうか - Jazzと読書の日々
「見えないものを扱うときは、 あたかもそれがそこにあるかのようにジェスチャーを入れるといいよ。 それで伝わることもあるから。」
VivaldiでCosenseのページをカードのように並べる
https://gyazo.com/7b5561e3269e10343eacc2ed9d6fa9f5
ひとまず考えたことを書く(タイトル未定の考察というページを作ってもいいけども)
のらてつさんは「事実」「思い」「アイデア」の三種のノートを提示されていた。
「思い」には複数の文脈があることも述べられている。
バレットジャーナルではタスク、イベント、メモの三種がラピッドロギングの対象になっている
まず対応関係をみよう
タスク(やること)
イベント(出来事)→
メモ(思ったこと)→「アイデア」「事実」
?→「思い」
綺麗な対応がとれない。というのも、ラピッドロギングでは、あまり長々と思いを記録することをよしとはしていないからだ。
イベントの項目は、それが個人的なものであろうと、激しい感情をともなうものであろうと、できるだけ短く、客観的に記入すべきだ。 p.108
次にバレットジャーナルにおけるメモは「事実、アイディア、考えたこと、観察など」が記入される。のらてつさんが区分しているものが統合されている。
ここから何が考えられるか?
少し式を変更してみる。
タスク(やること)→
イベント(出来事)→
メモ(思ったこと)→「アイデア」「事実」/「思い」
行き場がなかった「思い」を暫定的に「メモ」に代入する。すると、のらてつさんの区分はバレットジャーナルにおける「メモ」の下位分類として位置づけられる。そうすることで情報の区分の捉え方が一つのシステムとして統合できる。が、それは嬉しいのかどうかはわからない。
ここで視点を変えるためにPoICの4カードを参照する。
記録、発見、GTD、参照
再び対応をとる
タスク(やること)→GTD
イベント(出来事)→記録
メモ(思ったこと)→発見、参照
これはきれいに対応がとれる。PoICもまた観察者のような記録がメインであり、感情的な「思い」をキャプチャーすることを重視していないからだろう。
バレットジャーナルもPoICもこうした異なる種別の書き留めを一つのシステム内で扱うことを目指している
一つのシステム内にあるが、しかし「タイプが異なる」という扱いをしているとも言える。
「思い」の扱いについて
のらてつさんは、「事実」/ 「思い」と「アイデア」はまざっていない方がいいと述べられていた。それは「思い」は切り分けたほうがよいという言い方に変換もできるだろう。
バレットジャーナルではそもそも「思い」は書かないことが推奨されるし、PoICでも予め割り当てられたtypeはない。
つまり、情報システムにおいて「思い」はどのように扱われるのか、というのが考えるべき問題だ、ということがここまでの考えの中で浮かび上がってきたことになる。
情報整理ツールにおける"思い"の居場所問題
たぶん「日記」がその居場所になる、というのが現在の仮説
そのツールは何を引き受けるのか(何を担当するのか)で区分けを考える
思考の流れをつかまえる
当然そこには「流れ」がある。個別に独立しているわけではない。
aboutノート、というのを新しく定義する
〜〜についてのノート、というノート
「だいたい」というアバウトさも意味している
〜〜の研究、〜〜について、〜〜についてのノート、〜〜の準備ノート、〜〜の研究ノート
という四つのネーミングバリエーションが発掘された
たぶん、だいたいどれも同じものを意図している
貸借対照表の観点からアイデアノートを考える
Aの方に書いたら、必ずBの方にも書き込む、的なイメージ
ゆるい行動の方針(あるいはreの思想)
・とりあえずやってみる
・しばらく様子をみる
・あらためて考える
方法や規則や処方箋の「もと」
@rashita2: 方法や規則や処方箋の「もと」だけが身体にある。
@tobatoppers: 長い準備期間を経ているのに、方法も規則も処方箋も持たない授業というのは、考え得る限り最良の授業だ。
方法と非-方法について
タスクの管理の仕方だって、読書メモの書き方だって、何のためにそれをするのかで変わってくる。この自明な話を見えなくするのが「絶対的な方法」という非-方法。提供するノウハウを絶対化することで「何のために」という視点を欠落させてしまう。規定された「〜のために」からの脱出が抑制される。
@rashita2: 手法に注目が集まることで、本来注目すべき「心のあり方」や「認知の特性」への眼差しが抑制される傾向があるように感じますね。
@nasiken: タスク管理についての相談を受けていると、割と多くの方が、早々にタスク管理の方法論から、もっと根源的な深いテーマに話が移っていく。
@rashita2: 手法が「方法」として一般化されると、あたかも普遍性を帯びるかのような感覚があり、普遍的であるとは個性は関係ないわけで、「自分がどのような特性を持ち、どのような欲求があるのか」への自覚は喚起されなくなる。
@rashita2: 当たり前ですが、解決すべき問題が見えていないなら、解法を探すのはとても難しくなります。
@rashita2: 自分は自分の問題を適切に把握できている、という前提をまず破棄しないといけない。
カードっぽいサイズのルーズリーフ
https://gyazo.com/5b070005631ca5f008e6e140e0970558
A6くらいかな
〜〜〜の研究、と、〜〜〜について、の中身がだいたい同じだとしても違いはある。
リンクにしたときに「〜〜〜の研究を進める」と書きやすいが、「〜〜〜についてを進める」はやや不自然(少なくともカッコをつけたくなる)
〜〜〜の研究、あるいは〜〜〜について考える、というタイトルのつけ方は、それについてどのような知的作業を進めるのかのベクトルをすでに持っている。
〜〜〜について、だけだと非常にぼんやりした感じ
こういう風に配置するだけならば、〜〜〜についてで特に問題は生じない
https://gyazo.com/4dc8c2fee780ebaeb377583d508aae4c
逆にこのような配置では、これらすべてに〜〜〜の研究がついていると鬱陶し。
どこに位置づけるかで、どのようなタイトルが適切かは変わってくる。
その全体(木構造、ネットワーク構造)が持つコンテキストが違うから
「知的生産の技術」のリンクと、「知的生産の技術について」のリンクは明確に違う。
for 2025/6/1
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