2025/5/27
from 2025/5/26
本日は2025/5/27。引き続き曇り空。
朝コメダ
https://gyazo.com/7a8085c3417466bc1e7e6a29798c072f
Obsidianで書き、WorkFlowyで使う - by 倉下忠憲@rashita2が配信された
自分が書いてきたこと、考えてきたことを並べて、それを見ながら考えること。
これも精神としては梅棹の「カードをくる」だろう。
よく学び、よく話せ。
/jinJIN/2025/5/26
できることが少ない日はその少しのことだけをがんばりましょう
私は休むのが下手なので、休むことをがんばる必要がある。がんばるというか意識的にそれをする、という感じ。
そう考えると「書くのがめんどくさかった」も立派な日記として扱えると思います。
考えるに値する問題が含まれていると思う。
倉下は「書くのがめんどくさかった」はごく普通に日記と感じる。
ある記述が、「日記」に値するかどうかという判断を個々の人間は持っている。
日記に限らない。勉強やら知的生産も同様だろう。
その基準に至らないものは、〜〜ではない、と判断される。
それはそのまま、やっても意味がないという価値判断に通じている。
物事を続けていくうえで、あるいはある行為の初速の段階ではその基準を切り下げることがほんとうに大切で、うまくやっている人ほどその基準は低いというか「〜〜である」が含意するものが広いと思う。
具体的なメソッドの手間にある価値判断(センス、判断力、基準)の問題
/choiyaki/20250526日誌
そうやって書くのがなんか自分としては書きやすいのでよしとしよう。
なんであれそれが一番大事。
それはさておき思ったことが二つある。
一つは、感覚をガイドする言葉。たとえば「左手は添えるだけ」とか「ハードル走のときのように足をあげる」といった言葉によって体の使い方が変わる、ということがある。プログラミングのような逐次の筋肉の動かし方の指示ではむしろ人間には伝わりにくい。言葉によって、感覚をガイドする。この場合、その言葉がうまく響く人とそうでない人が当然出てくる。
もう一つは、指針となる言葉。たとえば文章を書いた後で、「これは1文で書けているか」と自問し、その答えに合わせて文章を直していく、分けていく。そういう行為を誘発する。これは行為の結果のあと、点検のための言葉。振り返りであり、感覚というよりも理性を導く言葉。
ノウハウ的指針には、この二種類があるかもしれない(他にもあるかもしれない)
感想の解像度を上げる
自分が読んで面白い、他人が読んでも面白い
自分が読んで面白い、他人が読んだら面白くない
自分が読んでも面白くない、他人が読んでも面白くない
自分が読んだら面白くない、他人が読んだら面白い
さらに「他人」にもいろいろある
自分が書いた文章の価値を、勝手に限定してしまうのは早計
自分が面白くないと感じる。だからこれは他の(すべての)人も面白くないと感じるだろうという判断は、自分の感覚で世界を満たしていることになる。
for 2025/5/28