2025/5/18
本日は2025/5/18。晴れ。
先月は2025/4/18。去年は2024/5/18
日ごとノートの関連ノートとテーゼノートや概念ノートの関連ノートは役割が異なると把握する
日ごとノートは、たとえば先月のノートを見て「ああ、そんなことがあったな」と思い出す
ライフログ的な情動(記憶)のサポート
それは知的生産活動に直接役立たなくてもいい。だから、大雑把な連関で構わない。
いい加減、Zettelkastenを断片的なメモをリンクして知の構造を作る、みたいなこという言説に対抗する言説が出てきてくれないものか。少なくともルーマンの技法を念頭に置けばそういうのとはぜんぜん違うと言える。
議論をごっちゃにしない。
『知的生産の技術』のカード法とこざね法の混同もある
いや、野口悠紀雄や立花隆もカード法については誤解して議論を展開していたな。
知能の高さが問題ではないということだろう。
すごくたくさんの知識を蓄えて、でも頭は固いままという特有の悲しさがある。
柔軟性が高いツールは、より多くの決定をユーザーに求める
ex. 「これはタグにする、それともノートブック?」
だからこそフレームが求められる、というよりもその役割の多くはそこにある
フレームは答えではなく、むしろ問いの限定である
【文章エディタ】アイデアとワードの両方を加工する編集機能|Tak.(Word Piece)
英文ワープロの設計思想のベースにある「英文タイプライターの想像力」は、高速な入力と操作だけに関わるものではありません。そこにはタイプライター文化の中で培われた「書き方」が関わってきます。たとえば「編集」についての考え方――例の「推敲」と「切り貼り」の違いにも関係する話です。
あらためて「編集」とは何かを考えたい。
清書としての機能。
何かが楽にできることで、拡がる行為。
編集機能がアイディアとワードの両方を加工している
推敲レベルの編集、ととりあえず言ってみる
たとえば、僕は高校生時代には原稿用紙で文章(主に小説)を書いていた。原稿用紙で書ける側の人間ということだ(ただし小規模なものに限る。長篇を完成させたことはない)
本棚にある本が目に入ったときに、ちょっと読もうかなという気持ちがわき起こりつつ、でもブックカタリスト用の読書メモ作りもすすめないとなという気持ちが読む手を止めてしまうことがある。これはあまりよくない。
「ブックカタリスト用の読書メモ作り」のための時間が確保されていないから、「そのときにやればいい」という判断ができない
明日また続きを書こう、と思えるか思えないかという話との関連がある
My Forumをつくる
「トピック / Topic」という実感の薄い言葉使わない。「話題」を使う(あるいはそれを意識する)。
心が動く言葉を使う
ex.「情報ツールにおいて、自分が扱いたい話題は何か?」
「情報ツールにおいて、自分が扱いたいトピックは何か?」
二つの文章から発生する頭の動き(連想・感情)を比較せよ
倉下の感触では明らかに前者が「語る」という方向のベクトルを持っている
その人の歴史は、その人が語る話題の歴史でもある。
外部ディスプレイでないときはカラムが3つまでしか表示されないのでCSSを上書きして横スクロール可能にした
https://gyazo.com/c8b34b2c69e027df6cf572e614e7b5c7
「自分はどんなことを考えているか」という問い立ては、展開される領域が広すぎて手に負えない
「自分はどんな本を書こうとしているのか」であればもっと限定される(それでも多いけども)
これは結局、「テーマを持つ」と呼応する話でもある。
「自分はどんな本を書こうとしているのか」は、「自分は何を語ろうとしているのか」にパラフレーズできる
語りからはじめる
「企画案」ページを整理することにする
めちゃくちゃ時間がかかったが暫定的な整理ができた
こういうのはアウトライナーがよいかなという思いもあるが、いったんはCosenseでやっていく。
「捨てる知的生産」じゃなくて、「持ちすぎない知的生産」だ。
「知的生活」とか「知的活動」でもいいな。
「捨てる」ことを目標にするのは違う気がする。
結局、あらゆるテクノロジーがそうであるように、使用者がもともと持っている指向性を強めるのだろう。陰謀論者はより効果的で効率的な陰謀論者になる、といった具合に。
いけてないCosenseのページの作り方の見本みたなページを見つけた
https://gyazo.com/0ed19acae02a3f6fe185e81863527a33
たぶん雑記と雑木がかかっていて、それにガーデン的なイメージがくっついた着想なのだけどもCosenseのトップページでたまたま見かけない限り再開することはなかった(他の誰かがvisitしてくれていた)
今の倉下は、もう「情報整理」というリンクをほとんど作らないから、折りに触れる可能性も低い。
でもまあ、たいした思いつきでないから別にそれで構わない(という気持ちが大切)
7年前ならばこういうページを作るのも至極当然(TwitterやEvernoteと同じテイストで使っていた)
少なくとも、このページをリファクタリングするならば、一行目をそのままタイトルにした方がいいだろう。
→2025/5/19