観察という断片化
「見る」という行為は全体的なものである。人は漠然と見ているとき、細部までを観察していない。逆に言えば、対象を断片化したければ、観察しなければならない。
どんなものでもよい。普段見慣れたものなら、なおさらよい。じっくりと観察してみることだ。できれば、それを表現しようとしてみることだ。いかに自分が細部を見逃していたのかがわかるだろう。断片をつかまえきれていなかったのだ。
これは「見る」という行為に留まるものではない。人間の行動の大半は、意識外で行われるとき、全体としてチャンク化が行われている。
それは、そもままでは創造に使いにくい。断片化が必要である。
初出:2017.May.10