結城メルマガYMM530の感想
今年は《結城浩 書籍執筆30年》になるといえます。
すごい!
送る前だけじゃありません。送った後ですら「念のためにもう一度読み返そうかな」と思います。
メルマガはあまり送った後に読み返すことは少ないが、ブログなどは更新した後──誰かがその記事をツイートしていたりすると余計に──読み返すことがたびたびある。
なんだかんだで、読み返すこと(そして手直しすること)が文章のクオリティーアップには欠かせない。
悲観的なことばかり言う人
本能が直情的な行動を促すとき、理性はそれに対するブレーキとなる。
二つがうまく働くとき、健全さが維持される
しかし、ブレーキしかなければどこにも進めない。
さて、この話には、どこにもいわゆる「悪人」は出てきません。誰かを意図的に騙す人、誰かを誤魔化してやろうとする人、そういう人はどこにもいません。
たしかに「悪人」は出てこない。
意図と責任が関係するなら、悲観的なことばかり言う人には責任はないのだろう。
本当にそうだろうか。
責任ではなく「非」ではどうか。
「望ましい在り方」が規定できるなら、「非」も規定できる。
会社やグループに求められているゲームは何か、という問題。
悲観的なことを言い合って、プロジェクトを停滞させる、というゲームではないだろう。
その意味で、異なるゲームをプレイしていた(あるいは求められているゲームを理解していなかった)という点はあるかもしれない。
それを「非」と呼べるかどうか。