結城メルマガYMM520の感想
ついに『数学ガールの秘密ノート/図形の証明』が刊行されました!
おめでとうございます!
個人的にノナちゃんファンなので嬉しい。
感染症の再拡大、日本の経済停滞や国際競争力の低下、大きな自然災害、悲惨な国際紛争など、自分だけではどうしようもない不安なニュースがたいへん多くて気分が落ち込んでしまいます。
rashita.iconは、基本的にニュースは見ないようにしている。
民放のニュースバラエティーなどは意識的に回避している
たとえそうであっても、耳に入ってくる情報というのはあって、それだけでわりと十分。
あと、速報系のニュースは真偽が不安定なので、あまりそればかり追いかけても詮無いこと、という意識がある
本当に心の調子が悪いときは、Twitterすら見ない。
結城先生はミュートを使っておられる
これはヘルシーなTwitterの使い方の有効な方法だろう
フリーランスと会社勤めでは、苦労する要素が違いますし、またそれぞれにメリットが違います。フリーランスが偉いわけでも会社勤めが偉いわけでもありません。働き方が単に違うだけ、とよく思います。
たしかにその通り(両方の経験者)
一方で、会社勤めの経験がフリーランスでも生きる、ということはあって、共通性もやっぱりあるのだろうと感じる。
しかしながら、自分の持つ情報が他人に当てはまらないかもしれないからといって、有用な情報を出さないのもおかしな話です。必要に応じて自分が持っている情報は伝える。しかしその情報をもとにどう判断するかまでは押し付けない。私はそういう態度が大事だと思っています(他人もそう考えなければならないとは思いませんが)。
最近考えている、知的生産の技術(ノウハウ)を以下にシェアするのか、という問題意識に通じる。
同様に、他人の情報を受け取るときも、それを自分に適用できるかどうかをきちんと考えてから行動に移した方がいいですよね。
たとえば、私がノウハウを提供するとして、「このノウハウはあくまで私の体験ですので、これを読む人に通じるかはわかりません。そうしたことは自分で考えてください」と書き添えたとする。これは「その情報をもとにどう判断するか」を押し付けたことになるだろうか(メタ的に)。
つまり、何も書かないほうが判断を尊重しているのか、「判断を尊重してください」と書くほうが判断を尊重しているのか、という問題
周りと比べず、自分らしい生活を送るために、どんなことを心がけたらよいでしょうか。
自分と比べること、な気がする。
比べることをやめるのは極めて難しいため
あとは、ある種の放棄をすること
価値とは見出されるものである
自分の外側に置くものと、内側に置くものを慎重に見極める
作業ログの有用性はよくわかっておりますし、自分でも真似しようとしたのですが、日記を毎日つけるといったことが苦手でうまく続きません。
不思議とrashita.iconも継続している。
まあ、それを読んでくれている人がいるからだろう。
あるいは「仕事」の一部にしているから、という言い方もできる
毎週書いている結城メルマガは、自分の活動のいい「振り返り」になっています。メルマガでは、いただいた質問への回答や、つねづね考えていることや、おりおりの仕事のまとめを書いているからです。
rashita.iconにとって、自分のメルマガはどういう意味合いを持っているだろうか。
振り返りの意味ももちろんある
一週間の振り返りであり、プロジェクトの振り返りでもある(本を書いたあと、そのプロジェクトについて振り返ることが多い)。
しかし、それとは別に「研究発表」「レポート」「講義ノート」の展開場所でもある。
自分が今考えていることの「最前線」をお届けする、という場所。
そういう行いは、どうしても「勇み足」になりがちなので、メルマガのような少しクローズドな場で提供できるとよいと感じる。
あとは、読者さんと「一緒に考えていく」場所としても機能してくれたら嬉しい。
#結城メルマガの感想