結城メルマガYMM512の感想
理解を進める/深めるために必要なこと
・《自分の理解に関心を持つ》態度に納得を加えること
・泥臭さを気にせず時間をかけること
・信頼できるソースに当たること
盲目的に何かの方法を実行すれば、理解力が高まる。そんな方法を求めるのは、あまり賢明ではないと感じます。そうではなくて、自分が学ぼうとしているものに接するときに「なるほど」という納得を重ねていく体験が大事だと思います。
泥臭い作業の必要性
・わかっている人には「自明だ」と思える例であっても、自分で作ってみること
・本を見れば書いてあるような計算であっても、自分の手を動かして再現してみること
・一度やってみてもわからないときに、もう一度やってみること
rashita.icon世の中の「わかりやすい」コンテンツは、こうした泥臭い作業を抜きにして理解ができますよという謳い文句が良く使われる。ある種のスマートさ。それに慣れきっていると、ちょっと読んでみてわからなければ、すぐさまさじを投げてしまう、という事態に陥る。本来「わかる/理解できる」ことは、手間と時間がかかることなのだ、ということを肝に銘じておきたい。
そのようなことを続けていると、当然ながら時間が掛かります。そのときに、あえて時間を掛けるのが大切です。自分の理解、自分の納得、それを堅固なものにするために時間を掛けましょう。そういうところに時間を掛けることで、未来の時間を大きく稼ぐことができます。
noteで読んだ記事を思い出した。
プログラミングというより物事が出来るようになる思考法|牛尾 剛|note
私は頭がいい人はああいうのを見て1発で理解できてうらやましいなぁと思っていたけどそうではないのだ。どんなに頭がいい人でも理解には時間がかかるものなのだ。頭のいい人が理解が早いように見えるのは、そうやって時間をかけてきて積み重ねているので、既に理解していることに関して頭のメモリにコンテキストが載っているからだ。
作品と評価
そのこと自体はありがたいことだと思っているのですが、一方で、実力以上に評価をもらっているように思えて、心苦しくも感じています。
価値とは見出されるものである
実力以上の評価、とはそもそもなんだろうか。
もっと言えば「実力」とは何か。
自分が自分の作品に下す評価とイコールになってはいないか。
だとしたら、「世の中には評価がいろいろあるよね」という話で終わる。。
他者からの評価が絶対的なものではないにせよ(つまり、さまざまな誤謬を含むものであるにせよ)、基本的にそうした評価に作者が影響を与えられるものではない(し、与えるべきでもない)。
良い評価を頂けているのは嬉しいことだし、それはそれとして自分なりに精進を続けていけばいい。
という風に考えられたら気持ちは楽だが、まあ、そう簡単にいくものでもないだろう。
とりあえず、周りからの評価は「運」という要素があるので、あまり考え込みすぎても詮無いことだし、もっと言えば短期的な評価はノイズがずいぶん入ってくるので、どしんと構えて中長期的な評価をまなざすと良いのかもしれない。
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