結城メルマガYMM488の感想
数学の難しさとは関係がありません。また問題を自分で解いたかどうかとも関係がありません。「これってどういうことかな?」と考えて、自分で気付いてもいいし、人から教わってもいいし、本で読んでもいいのですが、とにかく「なるほど、そういうことか!」と心の底から感じる体験。それをどこかで少なくとも一回は体験することが大事です。
そのためには「時間をかける」と「無理をしない」と「教えてくれる人を探す」という三点をお勧めします。これらはすべて、いま話した「なるほど!」につながる可能性を高めてくれます。
このうちの「時間をかける」が、昨今のメディアでは軽視されているなと感じる。
時間をかけて得られる内的な「なるほど!」ではなく、高速の「へ〜」でメディア空間が充填されてしまっている。
より深い興味への道とうまく接続していない。
もちろん、そういう軽い興味から深い興味へと接続することもあるので、一概に悪いとは言えないけれども。
私には何とも言えませんけれど、お話を聞いてぱっと思ったのは「試験が近付くと、迷いや不安が出てくるのはふつうに起きそう」ということでした。たとえば大学入試が近付くにつれ「大学に行くなんて無意味じゃないか」と考え始める受験生はたくさんいます。それに近い感覚です。
よくわかる。
もしも私があなたのような状況に陥ったなら、自分がそこに行きたいと考えた理由や目的を再度ていねいに考えてみるでしょう。私だったら恐らくは、紙に書きながら考えます。そして、自分が外部の院に魅力を感じなくなったのは「自分が新たな情報を得たためか」も合わせて考えます。
ノートを書こう
もし、日記などを書いていて、以前に自分がそこに行きたいという気持ちを書いていたら、それを読み返すのがよい。
それがなくても、とりあえず今考えていることを書き出してみることは有用。
頭だけの思考は、そのときの気分に左右されやすいので。
Ulysses→VS Code
理由の一つは「テキストを自作ツールで扱いにくいから」です。先ほども書いたようにUlyssesは文章のデータベースを内部に持っていて、入力したテキストはすべてそこに取り込まれます。
これが大きい。特に自分でPythonなどのスクリプトを書くようになると痛感する。
隔靴掻痒(かっかそうよう)
もどかしい、はがゆい、の意
「いままで」を注視しすぎず「これから」を見据えるためには、どうすればいいでしょうか。
とても難しい問題だと思う。
でも、自分の状態を少しメタ的に捉えられている状況なのかもしれない。
つまり、少し「いま」を見ている。
たぶん、それが一つのきっかけにはなりそう。
「いままで」と「これから」は断絶しているわけではない。
「いままで」と「いまから」という言葉に揃えれば「いま」が結節点になっていることがわかる。
その「いま」からはじめること。
とは言え、こういう問題は、ざっくりと解を示すことはできるが、しかし「いままで」を注視しすぎているその状態の根源に何があるのかを見据えないで安易な解を示すのはよろしくない場合も多いと感じる。
人間には、時間が必要なことが多い。