結城メルマガYMM470の感想
交差しない価値観の領域を持つ
「宗教」と表現する元ネタは知りませんが、ニュアンスはわかります。「本人にとっては日々の活動に関わるものでありながら、論理的にそれが正しいと決められるものではなく、不毛な論争になることも多い」というニュアンスでしょう。
たとえば客人を招いて料理をふるまったとき、何かの料理が食べ残されていると無礼だという考え方があるにして、その人が宗教的な理由でその料理に使われている食材を食べられないのだとしたら、その無礼(というレッテル貼りは)はキャンセルされるだろう。
こちらの「こうすべき」を曲げることなく、相手に「こうすべき」を要請することもなく、お互いの価値観をそのまま保持できるような領域が、宗教的価値観にはある。
統一的で共通な原理は、そのような保留領域を剥奪してしまうので闘争が絶えない。
宗教もまた、それを統一的にしようとすると同じ弊害が生じる。
Mute
基本、勉強は際限ないです。仕事で調べ物をしているときはもちろん「これについて知りたい」という目標はあります。でもそれは「ここまで勉強する」というよりも「少なくともここまでは勉強する」に近い感覚ですね。
暫定的な目標地点を設定すること
とりあえずや少なくとものマインドセット
ただし、とても大事なことがあります。それは「勉強が進んでみないと、その目標が適切かどうか、正確にはわからない」ということ。ですから、自分の決めた目標に縛られすぎないことも大切です。
自分の価値を、自分で決める
世の中には「難しいことを書いているように見えるけれど内容がない」本は確かにあります。有名な本だけど、宣伝がうまいだけの本もあるでしょう。ほかならぬ自分にとって意味がある本はどれか、読む価値がある本はどれかとなると、自分で判断するしかありません。
自分が自分の自分になる→自分になる
自分とは何か?
自分で判断するためには、検討だけでなく、決定が必要。
決定には、基準が必要。
ランダムな決定であっても、それをランダムに決める、という決定が必要。
理解との(あるいは不理解との)付き合い方
《わかったふりをしない》は「わからない状態を恐れない」ともいえますし「わからない状態をキープできる」ともいえます。