結城メルマガYMM461の感想
すべての修正は著者の心を通過させなくてはいけない
でなければ、その本はいったい誰が書いたと言えるだろうか。
責を負いたくないなら、文章など書かずに別のことをやっていた方が良い。
みたいなことを名言っぽく思いついたので書いておく。
実際、『僕らの生存戦略』では、レビューアさんに原稿を読んでもらってコメントを頂いているので肝に銘じたいところ。
まあ、言われて素直に従うような性格なら、物書きを生業などにはしていないわけですが、それはそれとして。
無限個の要素を持つ集合は、自分の真部分集合との間に全単射が存在する
数学がわかっていないので、文の意味が取れない
前半はわかる。問題は後半。二つの言葉の意味が取れないので後半の文の意味も取れない
ただし、ヒルベルトホテルのパラドックスはわかっている。
部分集合と真部分集合
ある集合に対して、
・一部だけを取り出したものを部分集合と言う。
・部分集合であって、もとの集合とは一致しないものを真部分集合と言う。
部分集合は、「何も取り出さない」や「すべて取り出す」も認めるが、真部分集合は「すべて取り出す」を認めない。つまり、本当に「一部」を取り出した真なる部分集合のこと。
全短射
単射:「単一のものから来る」ような関数のこと。
全射:「全部に行く」ような関数のこと。
単射は対応するものが一つだけ、というイメージ。
全射は、すべてを網羅する、というイメージ。
全射であり、かつ、単射であるような関数(写像)のことを全単射と言います。
同上
つまり、対応するものが一つだけで、すべてを網羅するのが全短射。
ここで後半部分の文章に取りかかる。
自分の真部分集合との間に全単射が存在する
たとえば、有限個の集合でイメージして、その集合そのものと、すべての要素を取り出した集合(部分集合)であれば、一つ一つの要素は完璧に一致しているので、全単射であろう。
それと同じことが、無限個の集合では、真部分集合でもなりたつ、ということ。
一部を取り出しても、もともとの集合と逐一一致する(すべてを網羅していける)集合となる。
逆に言えば、すべてを「一部」に送り込んでいっても、「残り」が存在しうる。
それが、満室のホテルの「空室」に当たる、ということか。
個人出版での表紙デザインには注意しよう
だいたいはリスペクトによるオマージュなのだけども、だからといって何をやってもよい、というわけではない。
あと、自分で自分のブランドイメージを立ち上げていく努力も必要
そのための表紙デザイン