構造はアウトラインのときに立ち上がる
Zettelkastenメソッドのカード群は、アウトラインを作るものではないから、そこに立ちあらわれる「構造」(のように見えるもの)に意味はたいしてなくて、むしろカードの中に記述される他カードへの参照において「構造」が立ち上がってくる。これがごっちゃになるとややこしくなる。 たとえば、アウトライナーでslip-boxを作るならこんな感じになるだろう。「間」に入れたいものが後から出てくるなら、それを間にグングンいれていけばいい。文脈的に直接関係があるならば、リンクでそれを示せばいい。 https://gyazo.com/848451e7feb6d4b5ef67c80b98479c02
すべてを「一列」に並べていく。
しかし、これらの情報は「つながって」はいるが、アウトラインではない。あるいは何かしらのアウトラインかもしれないが、それは具体的な成果物に向けたアウトラインではない。
図解でインデントの深さが使われるが、そうするといかにも「親子」という感じや「文脈」の違いがイメージされるが、それは「あらかじめ構造を意図せずにカードをつながりだけで書いていく」原初のコンセプトを損なうことになる。
でもってそれは、ルーマンが各種の(社会)システムに上下を見立てなかった(システム間の階層性を破棄した)、ということとも関係している。彼の思想と手法には当然のように呼応があるわけだ。
もちろん、ルーマンの思想とぜんぜん違うカード法は十分ありえるので、それはそれで探究するのは面白そうではある。