想定される読者の規模の違い
その一方で、文章を公開することで得られるメリットはたくさんあります。文章を読む力や書く力は確実に磨かれるといえます。「読むのは自分だけである」というのと「誰か一人でも自分以外の人が読むかもしれない」というのとでは全然違います。
by 結城メルマガYMM354
「読むのは自分だけである」
「誰か一人でも自分以外の人が読むかもしれない」
たしかにこの二つは違う。
自分のパソコンのローカルにしか存在しないテキストと、無名のブログに掲載されているテキストは、実際に読んでいる人が自分ひとりだとしても、読者の「潜在性」の点で違っている。
テキストが持つ「可能性」が違っている
書く方も、自然と(むしろ無意識に)そのことを織り込んで文章を書く
ここにもう一つの引用を絡める。
そもそも、書き手が気にするほどは多数の人には読まれませんし、反応も来ません。一生懸命「読んで読んで!」と宣伝すれば別ですけれど。
by 同上
「読むのは自分だけである」
「誰か一人でも自分以外の人が読むかもしれない」
「一所懸命に読んで読んで!とアピールしている」
この三つもまた違うだろう。つまり、不特定多数に読まれなければ意義がない文章(バズらせるための文章)を書くことも、また違ったものである。
ピントを絞った文章を書くには、「特定の誰かに向けて書こう」というアドバイスがあるが、それが「不特定多数に向けて」になっているシチュエーション
それは以下の話にも関係している。
承認欲求の刺激につながる機能を全て排除する - 橋本商会
Scrapboxは、「誰か一人でも自分以外の人が読むかもしれない」レベルを維持し、それ以上の欲求を刺激しないように、いっそストイックに整えられた環境である。
2019/1/8