個人は本当に「分割できない」のか
分人主義
という考え方もあるが、それとは別の考え方ができるのではないか。
たとえば自他の境界が曖昧な状態でストリームに投げ込まれている人がいる。
その人は「個人」だろうか。
むしろ人は「個人になる」必要があるのではないか。
それがつまり市民ということではないか。
逆に言えば、「個人」になろうとしない人の状態は、実は分割可能なのではないか
認知的分業
#不完全な個人主義についてのノート