リベラルの問題をどう乗り越えるか
リベラルは「自由」を尊重する。特に個人の自由を尊重する。他者(あるいは政府)からやいやい口を出されることをよしとしない。
そのスタンスを維持している限り、非リベラルな人に対して、リベラルを勧めることは難しくなる。それはどう考えても介入だからだ。逆に、介入をよしとする思想形態は、他者に介入することを簡単に行える。ここに非対称性がある。
では、リベラルはただ眺めているしかないのだろうか。
ここでたとえばアルコール中毒や薬物中毒について考える。彼らの中毒からの離脱を手助けすることは介入だろうか。あるいは介入だとして悪い介入だろうか。「お酒を飲まない」ために会への参加を促したりすることは、その人の自由を損なっているだろうか。
ここでは「自由」をどう定義するか、どのような状態であるときその人は自由であると言えるかが問題になってくるだろう。
民主主義ではないという理由だけでその国に介入することはやりすぎだとしても、非人道的な行いが日常化している政府に対して強い姿勢をみせたり、ときに武力介入も辞さない姿勢を見せるのは、むしろ「自由」を守るためである、という主張はできる。
それと同じようにリベラルも他者への介入は肯定できるのではないか。