ツェッテルカステンにおけるナンバリングの妙
・固有のIDを与えること
・話題が繋がっていることを示唆すること
この二つの役割があればよい。
で、番号の振り方に二種類あるわけだが、基本は1.1から1.2の方式でこれを本流と呼ぶとすれば、1.1aは分流(ないしは枝分かれ)になる。ここで言葉が持つニュアンスが混乱を引き起こす。つまり、1.1→1.2が話題の本線である、といった捉え方が生まれる。
しかし、そもそもトップダウンではないやり方でノート(カード)を取るのがこの方式の真骨頂だったはず。であれば、どちらの話題が「本流」かは判断できないだろう。だから、この「本流」というのはトップダウン的なテーマ設定とは関係なく、あくまで便宜的な呼び方にすぎない。
だったら、どう枝分かれするのかと言えば、順番である。自分がそのカードを書いた順番。つまり、基本的には、1.1→1.2とカードを位置づけていく。でも、どこかのタイミングで作ったカードが、1.1と1.2の間に位置づけたくなることがある。そういうときに、1.1aと別のルートを作る。そういう感じ。
分数的なものを使えば数字だけでも可能にはなるわけだが、それが長くなってくると人間の目では流れを追いにくくなってくる。ルーマンが独創的だったのは、アルファベットという別の順列の流れを使い、それを数字と組み合わせることで、二つのカードの「間」に無限の空間的可能性を産出したこと。
情報を文脈付けしながら、あとからいくらでもその「間」に情報を付け足すことを可能にした点。この点こそが、Zettelkastenメソッドにおけるナンバリングの妙であろう。 ツェッテルカステンの番号付けは、「位置づけ」であり「文脈づけ」である。
その意味で、Twitterにツイートを投稿することも「位置づけ」ではあろう。で、たとえば、連ツイにするつながりと、(自己)引用RTで自分のツイートに「かぶせていく」つながりの二種類がTwitterにもある。興味深い共通点だ。