ウィザード同士の会話
達人同士の会話は、コンテキストの共有度が非常に高いので、短い言葉だけでぱっと要件・要点が伝わる。極めて効率的。 しかし、その会話を達人でない人が聞いてもさっぱりわからない。知識不足かつコンテキスト不足だから。
達人でない人には、「Aとは〜〜で、それは○○とも言い換えられて、つまり▼▼ではないということです」という冗長的な説明が功を奏することが多い。その三つの説明で、ようやく理解の火が灯ることがある。複数の光源から光を当てることで、ようやく立体感が生まれるように。
仮に一対一の会話であれば、達人に対して、「それってこういうことですか?」と質問し、「いや、そうじゃなくて○○なんだよ」と答えてもらえれば、上記のような冗長性は確立される。
しかし、書籍ではそういうことはできない。だから、本の中のコンテンツには冗長性が必要である。特に「達人同士の会話」ではない書籍には必要である。
現代では、ネットを介することで本の著者に直接尋ねることはできるだろう。しかし、今の私はプラトンに「なぜソクラテスの会話形式にしたんですか?」と尋ねることはできない。本は、著者の死後も残り続ける。冗長性は必要である。