なにはともあれ記録の習慣
さまざまな習慣を身につけるなんて到底無理、という場合は、とりあえず「記録する習慣」をなんとかして身につけるのが良さそう。それを身につけるのにたとえ一年かかったとしても、十分その価値はある。
もちろん記録しただけで何もかもうまくいくようになったりはしないが、いろいろなものを変えていく土台にはなる。自己変容を建築でたとえるなら、記録をつけることは基礎工事にあたる。
何を書いてもいいし、何に書いてもいい。だからこそ、日記・手帳・ノート・ライフログは、それぞれに文化を咲かせている。大切なのは、記録を残すこととその習慣。
記録する習慣が身についたら、それをベースに「使う習慣」や「見返す習慣」を身につけていくのがよいかと思います。記録するツールにその行為をリマインドする書き込みをしておくなど、方法はいろいろあると思いますが、それまでとは違ったアプローチが必要そうです。
日々記録を残せる人は、それだけでかなりアドバンテージがあります。あとは、何を記録するのかの対称を変えていくことで、他の習慣に作用を与えるわけですを
「できてない感覚」って強いものですが、冷静に考えてみて何も記録をとれない状態で何かを変えていくのがいかに難しいかを考えれば、記録を残せていることが実はずいぶん前に位置していることがわかると思います。あとは何を記録するか、です。
でもって、いろいろなことを一気に習慣化(習得)することの無理さ加減も同時にわかります。たいていの習慣化はさまざまな小さい行動の習慣でできていて、それを一気にできるようにするのは無理が大きいのです。変えていくのは、小さいところからです。
たいていの人は、何ができていて何ができていないのかの記録すりないわけで、その判断はそのときの自分の気分で大きく揺れます。安定的ではありません。冷静な判断もできません。記録があったからといって、それが即可能になるわけでは有りませんが、なければ相当難しいことは間違いないでしょう。
ビジネス書などでは、ノート(日記・手帳・ライフログ)を書けばなんでもうまくいく、と謳われますが、もちろんそれはレトリックであり、そんなわけはありません。しかし、そうした書き留めたことが、あるいは書き留めるという習慣が、新しい思考や行動を呼ぶきっかけにはなってくれるでしょう。
なので、導入のための動機付けとしてそうしたレトリックが活躍する反面、「書くだけでうまくいくはずなのに、うまくいかないのはどうして?」という挫折感を招いてしまうトラップもあります。書くだけでうまくいくことはないのだから当然なのですが、そこに注意を向けないノウハウ本は厄介です。