ちゃんとした文章についての補足
「ちゃんとした」は、「きちんと整った」と「立派な」という意味がある。
フォーマットに適合的であるかどうか
他(平均)よりも優れている
文の機能は、ウィトゲンシュタイン的に言えば、読んだ人が書いた人の意図に合致する反応を示すならそれで満たされている。
それができてれいば「ちゃんとした文章」になっている、と言える。
標準的な文法に沿っていなくても、構わない。
日常的な会話はそうだし、詩も同様。
通常の発話は、だいたい文法に適合していないことが多い
こうやって書く文ですら、最初に出てくるのは文法的に適切でないものも多く、一度書いた後で直すことが多い
脳内だけでこの作業を完結させて、適切な文に整えてから出力もできるが、これはかなり疲れる
最初に書き出す文は「ちゃんと」(文法的に)整っていなくていい。
人はそれまで読んできた文(文章)からパターンを作り上げ、そのパターンに照合して、目の前の文が適切であるかを判断している
これが脳内linter
→人が文章を書くという作業は、まずちゃんとしていない文を書き、それを脳内linterを働かせながら、ちゃんとしていると自分が思える文章に整えていくこと。
書くことは、書き出すこととイコールではなく、書き出すことと整えることの組み合わせでできている
短いもの、単純なものであれば脳内で簡潔できるが、そうでない場合は難しい
脳内が「忙しい」「騒がしい」場合でも同様