『心はどこへ消えた?』
2021/9/5購入。
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この20年、心は消滅の危機にさらされている。物が豊かな時代は終わり、リスクだけが豊かな時代がやってきたからだ。人々は目の前のことでせいいっぱい。心はすぐにかき消されてしまう。社会にも、身近な人間関係にも、そして自分自身の中にさえも、心というプライベートで、ミクロなものを置いておく余裕がない。それでも心は見つけ出されなければならない。自分を大切にするために、そして、大切な誰かを本当の意味で大切にするために。ならば、心はどこにあるのか? その答えを求めて、臨床心理士は人々の語りに耳を傾けた――。現れたのは、命がけの社交、過酷な働き方、綺麗すぎる部屋、自撮り写真、段ボール国家、巧妙な仮病など、カラフルな小さい物語たちだった。
『居るのはつらいよ』で第19回大佛次郎論壇賞受賞、紀伊国屋じんぶん大賞をW受賞した気鋭の著者が「心とは何か」という直球の問いに迫る、渾身のエッセイ。
発売日 : 2021/9/3
2020年5月〜2021年4月「心はつらいよ」週刊文春
目次
ちょっと長めの序文 心はどこへ消えた? ──大きすぎる物語と小さすぎる物語
春
バジーさんが転んだ
メールで卓球
洞窟でキムタクの夢を見る
YouTube、安全なカプセル
締め切り恐怖症
悪い考え
トイレ侍とウンコ男
夏
補欠の品格
補欠の人格
ネズミのドラクエ
巨匠からの手紙
ウヒウヒグマのズババババー
余はなぜジャニーズ退所に夢中になりしか
脳内都知事と夏のコウモリ
アラビアン・ナイト・イン・ザ・タクシー
ニコチンパンジー殺し──顕れるニコチンパッチ編
ニコチンパンジー殺し──還ろうチャンピックス編
秋
午前4時の言葉たち
雑談賛歌
ソネミとネタミとカゲクチと
金で済むことは、楽やなぁ
トリセツと私小説
街外れのまじない師
下級動物霊の夜
仮病は心の風邪
ポサルとコーチと心の定規
紙を崇めよ
冬
中学受験の神様
ハルマゲドンの後で
ピンク色の森へ
夢が仕事になりました
脳のせいなのね
監督が解脱してはいけない
涙腺モミモミ
学者の味噌汁
また、春
孤独の形
段ボール国家
憑依と劇場
未来を冷遇する
心は二ついる
オレンジの傘で
あとがき
ちょっと長めの序文 心はどこへ消えた? ──大きすぎる物語と小さすぎる物語
・否定の後に現れる「心」について
・大きな物語と小さな物語について
・物語の個別性が剥奪されてしまう状態
・個人の心のための鍵のかかった部屋
・表ではない裏側のエピソード
大きすぎる物語には有無を言わせないだけの説得力がある。
そう、心は否定の後に現れる。
体のせいでもなく、物のせいでもない。お金がないせいでもなく、組織が悪いともいえない。社会だけのせいにも、環境だけのせいにもできそうにない。そういうときに、心を問題にせざるをえなくなる。
あるいは、こうも言える。みんなが言っていることに納得がいかない。親にも同僚にもパートナーにもわかってもらえない。きわめて個別の、自分にしかわからない事情がある。そういう他者とは異なる自分だけの孤独に、心が宿る。
だから、小さな物語こそが、心の場所になる。物事をシンプルに割り切ろうとする大きな物語を否定したところに心が現れるのだ。
そうじゃないか。
私たちは複雑な話を、複雑なままに聴き続けたときに、その人の心を感じる。あるいは複雑な事情を複雑なままに理解してもらえたときに、心を理解されたと感じる。表だけではなく、裏まで含めてわかってもらうと、心をわかってもらえたと思える。
「脳内都知事と夏のコウモリ」より。
“誰かを取り締まってしまうのは、自分が心の中で取り締まられているからだ。”
“不完全さを許せないと、私たちは人と一緒に居られなくなってしまう。”
「雑談賛歌」より。
“小さなエピソードには理論にはない深い力がある。雑談こそが大学の華だと思うのだ”
価値とは見出されるものである。自分(の心)もまたそうだ。生命が与えられるものと同じように、その人の心もまた他者の心から与えられる。近代の「個人」が見て見ぬふりしているのは、そのような贈与性だろう。
たとえばノウハウが役立つにしても、そのノウハウが神聖化され「大きな物語」になるとき、それぞれの人の小さな物語を押しつぶしてしまう。でもって、最近見かけるノウハウ書のいくつかは、そうしたものへのアンチテーゼを担っているように思う。
とりあえず、「正しさ」マッチョイズムにへとへとに疲れ切っている人にすごくお勧めしたい。
私たちの生にはさまざまな機微がある。単純にはまとめきれない小さい穴がたくさんある。単一の方法で「絶対に」うまくいくと説得されているとき、そんな穴なんか存在はしないし、存在しているのは間違っているということが同時に説得されている。それが苦しさを生むのだろう。
その方法が「正しく」ても、いや、正しければ正しいほと、苦しみは大きくなる。