遠くまで届くことを願い、時間を超越したい
「自転車で日本一周」で検索してみると、その偉業を成し遂げた達人たちのブログが見つかりました。たくさんの困難にもめげなかった達人たち。「何が一番、大変だったか?」という自らの問いに対して、待ち受けていた様々な困難ではなく、「日々のブログの更新こそ、実は辛かった」とあり、思わずなるほどとうなづいてしまいました。
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2018年7月16日の「海の日」に、葛西臨海公園を訪ねました。遠くに見えるのは、展望広場レストハウスの「クリスタルビュー」です( 2018.07.29)
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私が「書斎」と称している、わずか4帖半の寝室は、東側道路に面した、2階の北東の角部屋です。
ベッドから起き、朝日の射し込む窓を背にした机に向かえば、10秒も経たないうちに、キーボートから入力できる様になっています。
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朝目覚めて、「ふと頭に浮かぶイメージを逃さない」ためなのですが、残念ながら、そんな準備万端の時には、アイディアは降ってこないのです。(アイディアが閃くのは、運転している時など両手がふさがっている時)
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たいていは、目が覚めてしまったから、寝ててはもったいない、という感じで、しぶしぶと、マックの前に座るのではなく、立つのです。(最近、書斎から椅子を無くして、立った姿勢でマックに向かいます)
https://gyazo.com/a64bc33708c5451616606335c2cd6ef2
何を書こうかな、などと書き始めてみると、少しずつ、断片的なテキストがつながっていって、次第に、自分が主体的に書いているというよりも、誰かに書かされている様な気持ちで、気がつくと書きあがっている、の繰り返しです。
https://gyazo.com/fc551f766f8f9bbc800b1ffcb6b1809d
私はブログを書くこと自体は好きなのですが、ひとつの記事を書くのに、2時間以上もかかるので、これほどの時間を投資していいのかと悩みます。ですが、それでも、書き続けたい理由とは何なのかと、考えてみました。
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それは、オオタキラジオを通じて、「誰か」と、繋がりたいからです。お読み頂いている方のほとんどは、実際にお会いした方なのでしょう。お読み頂くことが、継続していく力になっています。感謝しています。
https://gyazo.com/feced6456727a33af349ed7eab16e4b7
そして同様に、私の日常の生活では、出会うことのできない、私から「遠く」離れている人たちにも、読んでもらえることを願っています。「遠く」とは距離だけでなく、年齢、仕事、考え方、そして時間です。
https://gyazo.com/318587f4b1fa7a17c7c7902c92637f50
私はいないであろう、2050年以降の未来の人たちに、30年も40年も前の出来事を、3、4日前のことのように、うれしいことも、かなしいことも、語りかけたいのです。
書き記す内容に、意味があるのか、意味がないのかを、私自身が判断せずに、読む人の判断にまかせられる様に、私が日々の生きていく中で、また仕事から学んだことを、とにかく、フラットに並べていく様に書いています。
https://gyazo.com/56ffa42e88cb7d07eb6aacb02e81f2d5
例えば、東伊豆の海岸の堤防に、うつ伏せになって、夢中で貝殻にカメラを向け、地元の方から呆れられたことも、いくつもの仕事を競合他社に奪われしまい、住まいづくりの記事が書けなくなってしまったことも。
https://gyazo.com/a009ed5ca7c7a6fe2c6aabc62f09cb7b
私が学校で習った歴史が、苦手だったのは、歴史は、勝者だけの記録でしかないからです。
私が、オオタキラジオで大切にしたいことは、勝者からの視点ではなく、敗者からの視点です。
時代の「先駆けとなる者」の視点ではなく、2000年を中心とした、前後80年ほどの時代を、ひとつひとつ「観察していく者」の視点です。時間と同期せずに、時間を超越したいのです。
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