賢治先生の家
9月21日は、37歳で旅たった宮沢賢治の命日です。花巻農業高等学校は、宮沢賢治が教諭として勤務した農学校の、後身に当たる学校です。校内には、宮沢家の別荘として建てられた、「賢治先生の家」がありますが、最初からここに建てられたのではなく、偶然、ここに移築されたのでした。 https://gyazo.com/e2c782023d6bdb445070cc745b5265ec
「賢治先生の家」は、この花巻農業高等学校の校内にではなく、ここから離れた花巻市内の、北上川や畑を見下ろす景色のよい高台に、宮沢家の別荘として、1904年(明治37年)に建てられました。
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屋根の架け方がユニークで、リズムを感じます。屋根の大きさや高さに変化を持たせたり、2階と1階の屋根とを一体にしたり。左側の屋根が低く、壁が黒く見えている所が、住まいの玄関です。右側の屋根が少し高い部屋が、教室になっています。
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その教室の入口には、賢治の所在を伝える、掲示板が掛けられています。掲示板には、「下ノ 畑ニ 居リマス 賢治」と、いつも、自分の居場所が書いてありました。賢治の、おもてなしの心を感じます。
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この掲示板の文字は、消えかかってくると、現在の生徒さんが、掃除のときに、書き直してくれているそうです。そんな「いつでもひとを招くことができる住まい」は、私が住まいを設計するときに、大切にしていることです。
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「下ノ畑」とは、こんな畑でした。賢治は、教師として教えることだけでなく、自らも、農作業を実践するすることを大切にしていました。人々が苦しんでいる現場に赴き、人々の苦しみを体験するためでしょう。
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賢治は、1921年(大正10年)11月から、稗貫農学校教師でした。1926年(大正15年)3月に、稗貫農学校を退職し、4月から、この「賢治先生の家」で自給自足の生活を始めました。
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この教室は、賢治がリフォームしたのでしょう。農学校卒業生や、周囲の農村青年たちを集めて、レコードの鑑賞会や、子ども向けの童話の朗読会を始めたそうです。
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火鉢を囲んで、木の丸椅子がおいてあります。こうやって、お話をしていたんでしょうか。オルガンは賢治が、実際に弾いていたそうです。
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農業や肥料の講習、レコードコンサートや農民楽団の練習、自作演劇の稽古などもしていました。「芸術は、厳しい暮らしの中にこそ必要」という信条が、賢治にありました。
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賢治、理想の学校でした。賢治、自立の場所でした。「農民芸術概論綱要」は、ここで書かれました。 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
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左側が教室です。右側が和室と、その上に書斎があります。和室と書斎の隅部は2方向に窓なっていて、いい眺めだったでしょう。
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和室は直接外に面しているのではなく、和室の周りを縁側で囲んでいます。
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和室では、妹トシが療養していた時期がありました。2階の書斎にいる賢治が、トシの看病をしていました。トシが旅たったときに、賢治が書いた「永訣の朝」の一節です。
『ああ あのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ』
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トシの居る和室、賢治の居る書斎の窓からは、こんな風景が見えていました。美しい北上川や山並みと同じように、畑での農作業をしている人たちからも、癒されていたのでしょう。
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夜は夜で、月の灯りが室内に優しかったでしょう。この景色の眺めるために、隅に寄せた大きな窓。私は窓を設計するとき、外観や室内から、「窓そのものが美しい」か検討しますが、「窓から見える景色」こそが、その窓の本質なのです。
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賢治が旅たった後、この宮沢家の別荘は人手に渡り、現在の地に移築されました。一方、手狭になった農学校も、現在の地に移ることになりました。
その農学校の移転先の敷地内に、偶然、賢治先生の家があったのです。「奇跡」に近いことだった、のかも知れません。
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岩手県立花巻農業高等学校のご厚意により、見学させてもらうことができるとのことです。「賢治先生の家」いつか、訪ねてみたいです。
花巻農業高校と賢治先生