オオタキラジオいつか書く
hr.icon
昨年からスタートした「光通信プロジェクト」は、実はモールス通信ではなく音声通信だった。私は何を思ったのだろう。「モールス」をその主役にしたいと考え、開発者のJE1DLCへ出向いた。その理由をモールス通信士から教えてもらった。「感情というものがモールスに通ずるんですね・・・」
音声からスタート
2月まで続いた
ふと、思った。
音声よりも、 モールスだと
3月からは
なぜ、開発者のDLCの家に出向いた。
なぜ、SNSや交信で、他者を批判するのか。
それは「音声や文字」が、他者に意見するのに簡単すぎるでは
モールス、そこまでしてしたい意見なら、私はその意見を傾聴しようと思う。
言いっぱなし、書きっぱなしの文字
それを見た瞬間に、その悪意を自分の中へと入れてしまう
たかが長点と単点の組み合わせの
モールス
送りて側と受けて側。
「TU」、なぜモールス通信には「Thank you」を省略する符号にあるのだろう。
交信中に何度も使われるからだろう。
水平線の向こうにいる相手からの「蚊が鳴くような信号」
通信、相手に自分の気持ちを伝えるコミュニケーション
無線に限らず、他者との通信、コミュニケーション
数文字でさえ、自分が表出するテキストは
常に感謝の気持ちがその中心にないといけない。
無線の内側でなく
憎しみあう
私は無線という狭いフィールドに連れ込み、批判するはやめてほしい。
無線の外側にあるものをデザインする
社会に対してコミットしていく
詳細な制御を可能とするモーターもまた重要だ。
ピアノ演奏できない私にはわからなかったが、
譜面たてに立て掛けた、iPhoneの
画面が白く光って見える時は、ペダルを離している状態
ペダルの装置の動きと連動している
バリアフリーピアノペダルは、ユーザーの意図をセンスすることが最重要だった。
https://scrapbox.io/files/64be83176cb38b001b77ff91.png
https://scrapbox.io/files/64be8363943cd3001c2bf5a0.png
『スタンド・バイ・ミー』の主役(ゴードン)
https://gyazo.com/54f6ba7767c190d5b4ba91682561d410
私は中学生の時、学校に通えない時があった。
、それでも
今日の朝練は中学生の局とつながりました。学校の朝練に向かう前に声をかけてくれました。昨年からコロナで子どもさんたちは大変な思いをしてきたはず、私は彼の話に感動しました。
突然、ません。いわば「神様から突然もらったような時間」を彼に尋ねました。彼はロードバイクに乗りハンディ機を首にかけ、地域パトロールにあてたそうです。地域が明るくなり犯罪の抑止力になるはずだと言うのでした。
彼の言葉に「アマチュア精神」を見てとりました。日本にとってとか、無線界にとってとか、災害発生時の協力など、主語を大きくし過ぎずに、地域にために隣人のために役立つことが大切であるということ。私はあらためて学び、そしてこのような話を記事に残していくことが、私の朝練なのです。
交信でもSNSを見かけていても、そうなっていない
「子どものために若い人たちのためにと、軽々しく言うな」とコメントをもらったことがありました。
我々の世代こそが中心であり「子どもたちは我々を見習いなさい」と、私には今の無線の世界はそう見えます。
https://scrapbox.io/files/64b545a254ae7f001b80bd25.png
う。違う。
コロナ禍で一番辛い思いをしてきた、子どものために若い人たちにのために・・・
楽しいと思って始めた無線も、時間が経つとともに熱量が下がっていき、次第に無線機の電源を入れなくなっていく。コロナ禍をきっかけに無線を始めた人たちは、その傾向が強いのではないだろうか。それを防ぐ方法を私は見つけた。できるだけ早く、気の合うたくさんの友と出会うことだ。
ホワイトボードに迷いながら回路図を書く姿。PCの裏蓋を外し不調の原因を探る姿。
私はこんな場面を見せたいだけなのだ。
アマチュア無線でよく言われる「多彩な楽しみがある」とは、限られたメニューから選択することでなく、「メニューに新しく追加していく」ことだ。これこそアマチュア業務だ。
hr.icon
『想像力とは潜在的なもの、仮定的なもの、かつて存在したこともなく、またおそらく今後も存在することがないだろうが、それでもその存在は可能であるかもしれないようなもの、そういったもののすべてのカタログなのです。』
イタロ・カルヴィーノ『カルヴィーノの文学講義―新たな千年紀のための六つのメモ』朝日新聞社 1999
優れた芸術は見るひとそれぞれの解釈を許容する。優れた芸術の前では、私はどんな態度をとることも自由だ。芸術を生み出す「想像力」の定義がふたつ思い浮かんだ。
まずは、『創造の原点に近づこうとする』こと。
美しいと感じたこと、感動したことを、自分の仕事の中に再現すること。自分の仕事を通して、その美しさや感動を、他者に伝えたいと願うこと。
自分と同じ時代に生きる他者と、それを共有するだけではなく、新たな千年紀を生きる他者に、「私の辿りついた創造の原点」を譲り渡し、彼らがさらに、「創造の原点」へと近づけることを、手助けすること。
そして、『誰も創り得ないもの創り出す』こと。
常に新しいもの、1番を目指していくこと。
「1番を目指さしての2番」と、「2番でいいと思っての2番」とでは、同じ2番でも、その意味は大きく違うということを感じること。結果は1番でなくても、その気持ちで取り込んだことを、誰にではなく、自分に対して証明できること。
「創造の原点に近づこうとする」も、「誰も創り得ないもの創り出す」も、全力で取り組んだ時でしか、大切な『何か』は見つけられないようです。
hr.icon
昨日のもくもく会で、学生局に伝えたことがあった。
縁を大切にすること
縁あって知り合う
日々出会う人のほとんどは、自分の運命を左右しない
でも
コールサイン
コールサインは
自分であるというより、自分の資産、自分の無線機
コミュニケーション
色々な立場を体験する
数値で判断する前に、耳で体で体験する
光トランシーバーの開発を始めたの時
去年の9月、
「すでにある」「何m」
さらに遠くへと技術的な話になりがちだ。
100均の安価で楽しい商品も、
より楽しくなる方へ、自分の個性を表現しやくい方へ
自分の無線感をツイートすると、「それは違うだろう」と一言
白いベース
百円ショップで
100均セリアの『LEDキャンドルライト(センサースイッチ)』が
LEDにささやきを聴く
楽しいと始めた無線も、時間が経つとともに熱量が下がり、次第に無線機の電源を入れなくなる。それを防ぐ方法を見つけた。できるだけ早く気の合う仲間と出会うことだ。「君も私も役割がある。ここは君の私の居場所だ」いつからか、もくもく会にはそんな空気ができていった。私はそれを文化と呼びたい。
豊かさって突き詰めると何だろう。
楽しめること、居場所があること。
それを求めて再開局した訳ではなかったが、おかげさまで満たされている。
豊かさそしてもうひとつ、未来があること。
いつまでも無線を手放すことなく、楽しく続けていこう。
「君も私もここでの役割がある。ここは君の私の居場所だ」いつからか、もくもく会にはそんな空気ができていった。私はそれを文化と呼びたい。この10人足らずで共有している空気・文化を、もっと多くの人と共有していく方法を考えだし、未完成だとしても実行していきたい。
楽しいと思って始めた無線も、時間が経つとともに熱量が下がっていき、次第に無線機の電源を入れなくなっていく。コロナ禍をきっかけに無線を始めた人たちは、その傾向が強いのではないだろうか。それを防ぐ方法を私は見つけた。できるだけ早く、気の合うたくさんの友と出会うことだ。
再開局する前までの週末、仕事で出向くことの多い東京を背にし、毛呂山から鳩山、越生に出向き、ひとり里山を歩くことが好きだった。お気に入りの図書館もいくつかあった。無線で友を見つけるつもりなどなかったが、生涯の付き合いとなる友と出会うこととなった。気づくと私は還暦がすぐそこなのに。
アマチュア無線でコミュニティーが立ち上がると、社団局開設やJARL登録クラブを目指すようだが、我々はなぜそれを目指さないのか理由がわかった。我々の目的を達成するためには「無線の中のコミュニティー」であるより、「コミュニティーの中の無線」といった捉え方がふさわしいと考えているのだ。
だから私、一無線家として「消費者」ではなく、「開発者」でありたい。誰かがやってくれるのを待つのではなく、ないものは自分で開発していく。それが無理ならば仲間と一緒に開発していく。人生の後半戦はそこに挑みたい。
「君も私もここでの役割がある。ここは君の私の居場所だ」
加齢を理由に無線から遠ざかる局をできる限りサポートしたい。
みんなの居場所
誰も排除しない
無線界隈でのみ聞かれる「WAKAMONO」という呼び名、当事者はそう呼ばれてどう思うのだろう。「WAKAMONO」に替わる呼び名を探し見つからなかったが、対となる言葉を見つけてしまった。「FURUSATO」。いつ帰って来ても自分の居場所がある、あの「故郷」だ。還暦前の私に故郷を名乗る資格はないが・・・
無線の楽しさを実感している学生局たちには宿命がある。無線から離れなければならない時がすぐに来る。受験や就職だけでなく、昭和の学生とは違い無線以外に楽しいことにたくさん出会うだろう。けれども一息つけるようになったら、いつでも無線に戻ってきてほしい。そのための「故郷」をつくりたい。
毎週日曜日のもくもく会。誰に頼まれた訳でもなく、なぜ継続しているのかわからないでいた。けれども1年経つと見えてくる。私は中学生の時、無線と出会えて幸運だった。たくさんの不思議と出会えたから、それを解決していく手段を身に付けられたから。この夏はそのお返しができそうだ。
勉強や仕事、出会いの中で、有形無形に学んだものを無線に還元するため、「∩(キャップ)ターン」してほしい。
熱中するも、受験 QRT
みなが電気の仕事をする訳ではない
社会に出てそれぞれの仕事に就く。 一息がつけるようになったら、いつかまた無線に戻ってきてほしい
んて呼べばいいのか、学生の頃に無線と出会い、自分よりもいくつも年上の局から、たくさんの示唆を受けた。
無線を知りながらも無線を始めるに至らなかった学生たちは、もっと多いのかもしれない。
有形無形の仕事から学んだものを、若い時に出会った無線に還元していく
向かい合う言葉が見つかった
FURUSATO
還暦前の私なぞ名乗る資格はない
家族、学校、塾 それ以外のコミュニティー
複数のコミュニティーに所属
居場所
もくもく会
無線の資格を取得し開局してもらうことを目的としない
色々な方向に進んでいける
駅の
それもホーム
プラットホーム
ブレッドボード
受験によるQRT
無線への興味が薄れ離れることもある
それでもふと無線をしてみたくなる瞬間がある
私は
2011年の震災を機にQRTした
10年後の2021年3月を迎えそれでも再開したいとは思わなかった
hr.icon
学ぶこと、当局の毎朝の無線活動を「朝練」と名付けた。
学校をメタファー
大人は学ぶことがないのか、
大人の役割は子どもに教えることだけなのか
大人は子どもに教えるのではなく、自分が学びその姿を子どもに見せる
新しい人が入りやすい 敷居が低く いつからでも参加がしやすい
考えていることを口にする、文字にする
無線のメリット
もっと楽しくするため、学びやすくするためには、何を改善したらいいか
昨日のbFaaaPオフライン(第0回)もくもく会 、あっという間に終わってしまいました。当局帰宅してから、昼食を食べなかったことに気づきました。参加した皆さんも子どものように楽しそうだ良かったです。まるで、中学1年の最初
五玉1つ、一玉4つに空きがそれぞれ、一つずつ 計7枠を利用して
0から9までを表示
優れたインターフェースとしみじみ思った。
なお算盤は「アナログ」の代名詞的に扱われるが、計算上の入力及び結果が数値で行われるため「デジタル計算機」に属する。
とあり、なるほどとうなづいてしまった・・・
ラジオセンター
万世書房(ラジオセンター1階)
1951年昭和26年
から
お馴染みの店主は父から引き継ぎ、73年目になったという。
まさに「73」と言ったところか。
「88」まで15年、
れども1951年(昭和26年)の開店から73年目になるという、この店なら当然のこととも思った。
小さな挑戦
わからないことをわかっていく
自分の領土を広げていく
机の上に貼った、世界地図 ベニア板の貼る
針を立てる
その針の本数、ライバルと競うことが関心ごと
新聞配達 そこに記事を書くことになった
18年後、
待ってくれる人
お疲れさま
雨の日も、雪の日も
早朝、母は私が玄関から出るともう寝ることはできなかったという。
弟と二人三脚 、一人では困難なことを二人で実現していく。
信頼する
昭和の良さ、あの頃はよかった
そのあの頃に戻ることはできないのか。
無線の社会貢献が求められるのなら、
世代間のコミュニケーション
防災時にとどまらず、無線のコミュニケーションから、社会全体をよくしていくことはできないのだろうか
若い人たちに無線を勧めたい理由