『雨ニモマケズ』は、賢治の「書」である
「雨ニモマケズ」は愛用の手帳に書き留められた。「11.3.」の書き込み、書かれたのは昭和6年(1931年)11月3日頃なのだろう。宮沢賢治 35才、旅たつ2年ほど前だ。『そういう私だ』というのではなく、『サウイフモノニ ワタシハナリタイ』と願う、賢治が心の奥底から絞り出した言葉に思えるのだ・・・ https://gyazo.com/ac380f5c0ecfdad915ca532b22963b4c
「雨ニモマケズ」を知ったのは国語の教科書だった。強くたくましく生きる、お手本の様に書かれていたので、賢治はきっと強くたくましい人だと思った。しかしそれとは反対に、床に伏せる日が続く中で書かれた、賢治が自分自身に言い聞かせるために書いたものだと、最近知った。
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雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ怒ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
https://gyazo.com/9e32013dba8936c158aba502891dda5a
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
イツモシヅカニワラッテヰル
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
https://gyazo.com/0c761be8e066073ea549a90167c7d81e
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
https://gyazo.com/4072f21068679e386516ab2543074ca4
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
https://gyazo.com/d6ca8cf977cce1ef151ad8e352b82c2d
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
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「雨ニモマケズ」は朗々と自信たっぷりに読み上げる詩ではなく、声には出さずにそっと、かみしめながら自分の心に語り掛ける詩だと思う。また一方で、いつまでもどこまでも進んでいくことを諦めないこと、誰にも褒められなくても行っていくことを決心した、「詩」というよりは「書」だと思う。
賢治が『こうありたい』とやり続けたこと。『できあがっていない』こと、未完成であったとしても。けれども、たとえ自分が目標に到達できなくても、自分が信じたことを続けてゆくことが、大切だということ。「なしつつある」ことがすべて、そのまま「なした」ことなのだ。
賢治が生まれた1896年は、明治三陸地震が起きた年でした。
賢治が旅たった1933年は、昭和三陸地震が起きた年でした。
2011年の東日本大震災後の後、『雨ニモマケズ』は、
復興へ向かう人々の心の支えとなりました。
兼さんの朗読です。
https://youtu.be/YqvRjYS01y0
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