「こどもたちが自分の道を歩み、夢を叶えるために」星合之代奨学基金
私の大切な住まいてさんのひとり、星合之代(ほしあいゆきよ)さんの「こどもたちが自分の好きな道を歩んで、夢を叶えるための一端を担いたい」という強いご意思から創設された、星合之代奨学基金。たくさんの学生さんたちがこの奨学基金により、自分の道を歩み夢を叶えるために勉学に邁進している。
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徳島県内の児童施設等の児童が高校卒業後に大学などへ進学する場合、学費や勉学などに要する生活資金に対して給付型奨学金の助成を行うことにより、こどもたちの夢の実現及び社会的自立への支援、並びに本県の児童福祉向上に向けて活用される制度です。
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星合さんのお住まいを初めて訪ねたのは 2001年。天寿を全うしたお母様を看取り、自身も80才を迎え「終の棲家を頼みたい」と、バリアフリーリフォームを依頼されたのが始まりだった。その後、介護付き高齢者マンションに入所した時も、自宅同様にリフォームするなど、お付き合いは永く続いていった。
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高齢者マンションというよりはリゾートホテルの様な星合さんの部屋を訪ねる時、仕事というよりは頭の上らない叔母を訪ねる様な気持ちだった。「今だれのどんな家を造っているのか」と出向くたびいつも尋ねられ、進行中のプロジェクトを説明した。星合さんはいわば、私のバリアフリーのご意見番だった。
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星合さんとの雑談の中で時折、故郷の徳島の話が出ることがあった。ロープウェイで眉山(びざん)に昇り、徳島市の町並みから遠く紀伊半島までの美しい景色を眺めに、「徳島に行ってらっしゃいな」と。その眉山の山麓にある寺が菩提寺なのだと聞いた時に、その寺にも行くことになるとは思わなかった。
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そんな星合さんの訃報を聞いたのは 2014年6月18日だった。泣いた。その頃とても多忙で星合さんの所へなかなか訪問できずにいて、とても悔やんだ。東京の斎場で、ご住職様と高齢者マンションスタッフ3名と私とでお見送りした。私は心の中で「必ず徳島に行きますから・・・」とつぶやきながらお見送りした。
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2019年12月8日、徳島での初めての朝は微笑むような晴天だった。徳島を訪ねてきた旅人たちと一夜を過ごしたホステルをチェックアウト、阿波踊りで見覚えのある大通りを進み、星合さんの菩提寺を訪ねた。手を合わせ梵鐘(ぼんしょう)をひと突きすると、5年半を経てようやく約束を果たせた安堵感を感じたのだった。
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阿波おどり会館からロープウェイで、標高 290mの眉山に登った。山頂に到着し展望台を歩いた。この真っ赤に紅葉した樹に目を惹きつけられた。「こどもたちが自分の道を歩み、夢を叶えるために」星合之代奨学基金に色を付けるなら、私ならこんな赤を選ぶだろう。住まいのリフォームで色を選んでもらう時、星合さんはいつも赤を選んでいたからかもしれない。
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私の仕事というより、私の人生の意味である「住まいづくり」を学ぶために、星合さんから機会頂いたという点では、私も学生さんたちと同じだ。そして私は先輩として「だれかの夢を叶えるための一端を担うこと」を実践しなくてはならない。私でもできることが必ずあるはずだと、展望台でひとり誓った。
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