時間・自己・物語
時間・自己・物語 / 信原幸弘編著 ; 佐金武 ほか著, 2017
Chap.1 現象的自己と時間(佐金武)
「自己」の現象的側面
ワインの味や音楽の旋律などさまざまな官能が統一的に経験される「まとまり」は「自己」を規定する上で重要
個別の経験の寄せ集めではなく、いまここにあることが引き起こす意識の統一
意識経験の現象的特性 (e.g., コウモリであるとはどのようなことか?)
「その経験を持つとはどのようなことか」と問うことが有意味であるような、何か
意識内容の現象的統一も同様に「どのようなことか」を考えられる
現象的統一の記述理論
経験内容$ C_1, C_2が統一されるとは、包括的経験内容$ Pが$ C_1, C_2を含意するが、逆は成り立たないとき
ともにあることで和以上の何かが生じる
見かけの現在=意識の流れの構成単位
統一性の推移閉包をなす経験内容の集合$ C_1, ..., C_nを包括する経験内容$ P
有限の時間幅を持つが、数秒以上の経験の意味的統合とはことなる。0.5秒未満 (Dainton 2000)
意識の流れ=オーバーラップした見かけの現在の連続
現象的自己
立場1:意識の流れとしての自己
自己とは単一の意識の流れそのもの
架橋問題:睡眠や昏睡で意識の流れが断ち切られたら異なる自己になるのか?
Daintonの応答:顕在的意識ではなくそれを生み出すシステムが自己である
疑問:パワーそのものは経験不可能な対象であり、現象学的観点からは望ましくない
立場2:仮象点としての自己
「意識の流れの根底にある認知的構成によって、その同一性が決定されるような存在者」(Bayne 2010)
意識経験において常にバーチャルな重心として働く、対象としては現れない志向的対象
同一性は、虚構のキャラクターのそれが獲得するのと同様に記憶を通じて生成的に保障される
批判A:自己についての表象・信念を持たない生物(e.g., コウモリ)は現象的自己を持たないのか?
批判B:現象的自己の抗いがたいリアリティを表現できていない
立場3:一時的存在者としての自己
意識の流れにおける連続性は信念の産物に過ぎず、時間を通じて持続する経験主体も存在しない (Strawson 2009)
パルス的に現れる刹那的な経験主体 (SESMET) の存在のみを認める
批判A:そうは言っても経験はなめらかに移行するのではないか
批判B:一瞬一瞬に現れるはずの経験主体というものがそもそも実際の経験においてリアリティがない
自己の余剰説
現象的自己への要請
1. 一時的存在者でありうる
2. 単なる志向的対象である以上のリアリティがある
3. 経験内容に対象化された形では現れない
案「現象的自己とは、ここの見かけの現在に他ならない」
ヒュームにおける自己=「経験の束」に通じる
自己が経験内容を所有するのではなく、自己としての見かけの現在$ Pが経験内容$ Cを包含する
注意:自己であるのは経験内容であって、経験を構成する対象(りんごなど)ではない
現象的自己は社会的自己とは全く異なり、通時的同一性などに示唆を与えない
それでも、余剰説の定式化は自己と経験内容のトークン同一性から、現象的自己の唯一性を保障してくれる
Chap.2 主観的な現在をめぐる哲学的論争(太田紘史)
タイムスライス・断片ではなく「流れ」としての意識経験(ジェイムズ)
時間幅を持った現在=「見かけの現在」
問1:意識経験の現れは本当に時間的に延長しているのか
スナップショットモデル(動画的モデル)への疑問
我々は時間幅を持つ現象(動き)を推測するのではなく直接体験しているのではないか?
反論:推測は無意識に行われるのではないか?
再反論:知覚=確定情報の意識経験への呈示。計算が入っても動きが情報なら時間幅を意識経験することに変わりない
直接知覚を否定するためには、より高次の認知過程や想起ではじめて動きが判断されると主張すべき
運動知覚に関わるV5/MT野の存在、視覚性運動失認により否定
問2:意識経験そのものは時間的に延長しているのか
意識経験の現れが時間幅を持っているなら、その幅の中の要素は一つの経験=同時に感じられてしまうのでは?
ド-レ-ミのメロディは同時に鳴って聴こえるか?
統一性は同時性を要請するか、という問題
PSA (priciple of simultaneous awareness)モデル
広い空間を見る時、空間そのものが意識経験に現れるが、視点そのものは点にすぎない
意識経験それ自体の時間性と、意識経験の現れの時間性の区別
意識経験に現れるいかなる特徴も、意識経験が表象する内容にすぎず、意識経験そのものの特徴ではない
時間的延長も、内容にすぎず、意識経験そのものが担うべき性質ではない(経験そのものは瞬間的に存在する)
物理主義(瞬間的脳状態と表象状態の同一視)との折り合いのよさ
延長主義 (Phyllips, Dainton) vs PSAモデル
統一性は必ずしも同時性を要請しない ― 「通時的統一性」の導入
主張:意識経験そのものが色を持つわけではないとしても、意識経験そのものが時間的存在者であることは否定できない
反論:空間についても同じことが言えるか?意識経験は空間的存在者か?
主張:意識経験そのものの時間性を内観によって観察できないという主張は誤っている
反論:同じ統一的意識経験に現れていなければ、PSAモデルでも経験の前後関係などを内観することは可能
ポストディクション
時間的に後の刺激が、先の刺激の感覚に影響すること
例)同じ場所を連続してつっついてから位置を変えてつっつくと、仮現運動が現れる
脳活動を測っても、記憶の改竄か意識的経験の遅延かという判断は不可能(デネット)
デカルト的唯物論(決定的な部位=デカルト劇場への刺激到達が意識経験に反映される)の放棄
各刺激の物理的生起順序と、その表象内容である「AのあとにBが生じた」とは独立の問題としよう
問3:経験に関しては、時間幅を持った全体が先立つのか、瞬間が先立つのか?
延長主義の二つの主張
1. 意識経験とその現れは時間的構造を共有している
2. 意識経験の部分はその全体に依存して構成されている
遅延説の困難(なぜ0.2秒も意識化が遅延しなければらないのか?)の克服
第二刺激を感じる部位は、第六刺激までを含めた全体に依存しているから
結局、第二刺激に関する情報が脳に滞留しなければならないなら遅延説に回収されてしまう?
時間幅の切り取り方によって、同じ刺激に対しても現れ方が一意に定まらなくなる?(プロッサー)
多元的草稿モデル(デネット)
意識経験の時間的順序に関して「真相」はそもそも存在しない
色々な原稿に恣意的な取り決めを除いて「正式版」が存在するわけではないのと同様
プロッサーの批判に対しては、延長主義でもプローブタイミングによって「肘側」「手首」と異なる返答が得られるだろう、したがって矛盾しているわけではないと反論できる
結局これはプローブによる明示的意識化を特権化しているだけで、デネットの議論の範囲に収まる
Chap.3 行為者から捉えた時間経験(中山康雄)
認識者の時間経験と行為者の時間経験
時間経験の例:メロディ聴取
たったいま聞いた音が過ぎ去り、新しい音を聴き取ることの繰り返しで間接的に時間が経験される
物理的な時間の線形順序と、経験の順序構造とが一対一の対応を持つ
視覚体験は注視点の空間的移動などに能動性が関わり、より複雑な構造を持つ
伝統的時間論
マクタガートによる俯瞰的時間表現(earlier than)と主観的時間表現(past-present-future)の比較
フッサール時間論:「たった今」の経験の余韻が過去へと繰り返し沈み込む過程で、内的時間が立ち現れる
能動性と注意
行為者は特定の事象にのみ注意を向けながら時間の中で行為遂行を行う
非注意による見落とし(例:ゴリラバスケット実験)
すべからく時間経験は注意=行為性を帯びているのではないか?(認識者に基づく時間論は片手落ちでは?)
感覚システムの認知科学
視覚システム
非常に狭い高解像度領域(中心窩)+無意識な高速眼球運動(サッケード)
サッケード中は情報取得がシャットアウトされる(サッケード抑制)
300-400msごと、100ms程度の時間窓で離散的に情報取得し、連続的な経験を生み出している
脳の情報処理
感覚受容器(例:蝸牛、眼球)は精密な設計ではない
大脳による処理を経てはじめて有用な情報が得られる → 錯覚の生じる余地
例)ヴェクション
時間経験の認知科学
ワーキングメモリ・モデル(芋坂他 2010)
3種類の短期記憶リソース:音韻ループ・視空間スケッチパッド・エピソードバッファー
それぞれ長期記憶と相互作用
中央実行系が注意制御
短期記憶の容量は4チャンク程度
メロディ想起時にはメロディチャンク("夕焼け")が次のチャンク("こやけで")を呼び起こす … 能動的
時間経験の能動性
ピアニストが楽譜を見ながら演奏するときの時間経験
楽譜はサッケードによりチャンク≒小節単位で把握される
チャンクに対する運指運動計画(未来の先取り)と同時に、たった今弾いた音の聴取(過去の確認)が生じる
視覚系・聴覚系・運動系のすべてが能動的時間知覚に関与 ← 中央実行系によるオーケストレーション
文章朗読も同様の観点から分析できる
Chap.4 時間意識の誕生(伊佐敷隆弘)
ヒトの発達過程で、時間意識はいかにして獲得されるのか?
この問いに哲学が与えうる示唆は何か?
幼児の時間意識
マークテスト:幼児の知らぬ間に顔にマークを付け、鏡などを見せて異変に気づかせる
鏡を使う通常バージョンは1.5-2歳くらいでパスできる
3分間遅延のビデオ映像を使うと、4歳児でも75%くらいしかパスできない(自分であることは2歳でも理解)
リアルタイムビデオだと3歳からクリアできるが、2秒の遅延が入ると難しくなる
時間的に延長した自己
過去と現在の因果的なつながりへの理解は4歳程度まで発達しない
人形隠し課題(Povinelli)をクリアできるのもやはり4歳児から
途中で人形を移動させるパターン(複数のイベントの前後関係判断を要請)でも同様
出来事の古さに関する判断
1週間前と7週間前のイベントのどちらが最近か答えさせる課題(Friedman)
4歳児は現在や当時のカレンダー的情報を持たないが、前後関係は正しく答えられる
時間位置と時間距離の発達は独立である
典型的出来事系列
日常生活での典型的な出来事の系列やプロシージャに対する知識=スクリプトは2歳児でも持っている
出来事タイプに対する理解は出来事トークンよりも先に発達する
不完全な時間意識
より原始的な時間距離的知識は、成人でもスクリプト適用などに日常的に用いている
距離的知識と位置的知識を関連付けることで日常生活の時間意識は機能している
位置的知識の発達
イベントの日時を尋ねる質問に対して、6,8歳児は「夜は学校がないから」「雪が降っていたから」といった出来事タイプの知識を用いて理由付けする
出来事タイプの時間パターンの知識から、出来事トークンの時間位置の知識が発達する
時間位置の発達前では、各出来事トークンは相互に関連せずにばらばらに存在(自伝的記憶がない)
冬眠動物の時間意識
位相的定位と個別的時間定位 (John Compbell)
原始的動物は位相的知識しか持たない(位相同値類=出来事タイプ的知識しか持たない)
冬眠動物がトークン知識を本当に持っていないとすべき理由は別に本文中では示されていない
原始的時間意識 ― Jamesのパーセプト
パーセプト=今ここにのみ関わる、連続的・動的・具体的な感じ、規則性もコンセプトもない経験
認知過程で不連続な概念(what)への切り分けが行われる
Chap.5 私の時間性の両立の問題(福田敦史)
現在を経験している私と、過去から存在してきた通時的な私とが両立するとはどういうことか?
現在の経験の主体としての私
経験の二つの条件
それは私自身に生じているものである
それは私が気づいているものである(通常時の消化管の運動、知らぬ間に背中にフンされたことは経験には含まれない)
知覚経験、思考、行為などが含まれる
受動的なこと(e.g., まぶたがぴくぴくする、蜂に刺される)も経験に含む
経験の主体=自我の存在継続時間問題
「猫が道を横切る」を経験するには、秒スケールの継続した時間が必要
ストローソンの刹那説(the transience view):自我は経験ごとに次々生じては消えるつかの間の存在者である
複数の経験の時間的断絶を超えて存在し続ける自我(経験の主体)は存在しない
通時的な存在者としての私
ある存在者が同一の人物であるとはどのようなことで、それはどうやって示せるのか (personal identity problem)
ロックの心理説
生物としての同一性:生物機構の体制 (organization) によって保証
人格としての同一性:「意識を後方へ、ある過去の行為あるいは姿勢を及ぼせる限り……」=心理的なつながり
循環論であるという批判
「過去の私の経験を思い出せること」=心理的つながりを条件とすると、それを真とするような客観事実は人格の同一性を前提とせざるをえない(確かに去年猫に引っかかれたのはAさんですね)
パーフィットの疑似記憶説:「実際に過去にその経験を持った人がいた」ことしか要請しない(他人の記憶でもいい)
いずれにせよ脳状態など外部の物質に依拠する点で心理説の領域を踏み越えている
そもそも心理説自体には2点間の同一性しか示せないという批判
動物主義:動物個体としての同一性を人格の同一性と同一視する議論
ウィギンズの動物属性説(人間説):心理説と動物説の統合、というより動物説の拡張または限定か
ある動物個体が人格であるとは、典型的な意識的諸活動をするような動物種に属していること
自我と人との形而上学的関係
実体概念(ある個体が存在する間それでありつづける概念)と局相概念(一定期間だけ属するような概念)
本質的局相概念 = その実体概念に属する個体にとって必然的な局相(例:蝶にとっての青虫)
自我という局相は人という実体概念にとって本質的である
疑問
「老人」や「幼児」も本質的局相概念ということだったが、それと自我とは局相のあり方として違わないのか?
Chap.6 物語理解における時間情報および自己表象(米田英嗣)
物語や他者の状態の理解と自己意識との関係を、ASD者を対象とした心理学・脳科学研究を取り上げて考察する
物語で築かれる表象
文章の理解=状況モデルの構築
表層モデル → テキストベース → 状況モデル(心的表象)
テキストは時空間、人物などの事象で分解され状況モデルを構成、ワーキングメモリ上では一部が活性化されている
同じ時刻に起きた出来事、同じ人の行為など、活性化中の事象に関連することは状況モデルを更新させやすい
身体化された表象
例えば運動についての文章を読むときには、読者自身の運動表象が活性化する
物語における時間
時間と空間の相互作用
2種類の文章を読ませる (Rapp and Taylor 2004)
1. ニックは長い時間を掛けてA地点から離れたB地点へ移動した
2. ニックは短い時間を掛けてA地点から離れたB地点へ移動した
前者を読んだ人のほうが、「A地点」の想起に掛かる時間が長い
時間と感情
主人公の感情変化が多くともなう文章を読む場合のほうが、時間が掛かる
読者は登場人物の感情変化をモニタリングし、状況モデルを更新している(共感しようと思わなくてもそう)
物語時間と読者時間
読者は物語中の時空間移動をモニタリングしており、状況モデルの更新に心的リソースを消費している
主観時間の判断に誤差がある人ほど、物語での時間推移による読解時間がより遅延する
物語で生み出される共感
時間・空間移動を操作した文章をASDとTD条件の人に読ませてfMRI測定
ASDでは空間移動について、TDでは時間移動について右側頭頭頂接合部(視点取得に関する脳部位)が活性化
TD者は時間経過に関して視点取得に関する脳活動が生じやすい
ASD/TDの違い
IQが同じであれば記憶の成績には違いはない
ASD者は非知識的な記憶を問うremember課題は反応が少なく、知識的判断を問うknow課題は反応が多い傾向
エピソードとしての記憶の検索が不得手
ASD者は自伝的記憶=他者としての自己理解が弱いとも考えられている
共感性
ASD者は一般的に共感性が低いと考えられてきた
実際には、ASD者はASD者に、TD者はTD者に共感を示しやすいということらしい (Komeda et al., 2015)
他者判断
ASD児は意図や悪意の理解が困難で、結果のみから行動の善悪を判定する傾向が知られる (Moran 2011)
特性よりも行動を重視することの背景には時間知覚特性があるのではないか?
時間的に離れたclueは利用しにくい、など
今後の研究
物語における非典型的な時間の流れを読むときの人の振る舞い
時間知覚の特異性は内受容感覚の特異性など神経科学的な特徴付けができるだろうか?
Chap.7 将来の自分はどれくらい大切か(信原幸弘)
現在の自分の行動決定は、将来の自分をどのくらい大切に思っているかということと深く関係している
「他者連続性」と比べられるものとしての「将来自己連続性」
一般的には他者よりも将来の自分が大切
「将来自己同一性」と比べられるものとしての「将来自己連続性」
同一でもどの程度連続かは個人差がある
自己物語における将来の自分の位置づけと自己連続性
将来自己連続性
価値の時間割引
現在の自分を考えているときのほうが吻側前帯状皮質 (rACC) がよく賦活される
この差が大きい人ほど時間割引も大きい傾向 (ハーシュフィールド)
差が大きい人は将来の自分についての賦活化が鈍るというより、現在の自分について賦活しすぎているらしい
将来時間展望枠
どのくらいまで遠くまで自分の将来を展望するか
時間展望枠が狭いほど時間割引大
フェロウズらの実験:将来に関するキーワードを自由に言ってもらい、ものごとへの関心との相関を見る
将来自己の想像の鮮明さ
鮮明に将来を想像できる方が自己連続性が高い
ヴァン・ゲルダーらの実験
20年後か3ヶ月後の自分に手紙を書いたあとで不正行為をするかを判断してもらう
20年後に書いた人の方が倫理的判断をする
これは想像の鮮明性と関係するのか?3ヶ月後の方が鮮明では?
心的時間旅行
過去の想起や未来の想像:心的旅行中で体験される出来事は時間性を帯びる
心象性
心的時間旅行は、単なる宣言的事実としてではなく主観的な心的イメージとして体験される(エピソード記憶)
心的イメージとして体験できない種類の記憶もある
認知資源の共通性
未来旅行(エピソード展望)の能力は過去想起(エピソード記憶)の能力と密接に関係している
健忘でエピソード記憶を失った人はエピソード展望も困難になる(宣言的な未来展望は可能)
子供の過去口述能力と未来予測能力も同時に発達する (Busby & Suddendorf 2005)
うつ病で過去の体験を想起できない人は未来の体験も想像できない (Williams et al., 1996)
脳科学的にも同じような部位が活性化されるという報告がある (Okuda et al., 2003)
意味記憶の必要性
エピソード記憶を保っていても意味記憶が障害された認知症ではエピソード展望が困難 (Irish et al. 2012)
おそらくエピソード記憶のリソースを意味的に再構成することでエピソード展望が実現されているから
動物は心的時間旅行をするのか?
記憶を用いたエサ隠匿をするカケス - しかし他の行動にも同様に記憶を活用しているわけではない?
自己物語
自己物語でも文学と同様に語り手の視点性(内的視点・外的視点)がある
Goldie「劇的アイロニー」(例:オイディプス王)
観客視点からは悲劇であり、主人公視点ではそれが知れないというズレが大きな哀れみや心的効果を生み出す
誤信念課題(客観視点と、お菓子を知らずに探す登場人物視点とのズレの理解)との関係=劇的アイロニー
自由間接話法
「私は昨日の宴会で、バカな歌を歌った」
バカであると思っているのは昨日の私なのか今日の私なのか明示しない語り=視点の融合
心的時間旅行においても、楽しい時間を追体験しつつも恥の感情が同時に生じる=視点融合が生じる
自己物語に豊かな構造や陰影が与えられることにはこうした劇的アイロニーも貢献している
Chap.8 価値の時間割引と自己同一性(高橋泰城)
報酬や損失のタイミングが現在から遠ざかるほどにその価値・重要度が減衰して評価される現象
将来の不利益を避けるために、現在小さな不利益を被ることへの意思決定(e.g., 予防接種)
歴史的起源
アダム・スミスやヒュームが考察を始める
ジョン・レー「資本の社会学的理論」
蓄財意欲の四要因
遺贈動機と自己抑制による促進
人生の不確実性と即時消費の興奮による減退
四要因における二つの見解
1. 蓄財するのは、あくまでも将来が楽しみであるという現在の効用による(したがって共感度が蓄財を左右する)
2. 価値割引が起こるのは、即時消費の興奮を我慢することの不快感によるもの
どちらも現在の即時感情に基づいて意思決定されるという仮定は共通
時間割引しにくいのは、将来への想像力が高い人か、我慢強い人か(あるいはその両方か?)
パヴェルクによる富の時間的最適配分理論としての定式化
フィッシャーによる利子率の理論
サミュエルソン「割引効用モデル」が整理:単一変数の合理性に要約
割引効用モデル
多時点消費の選好 $ U^t(c_1, c_2, ...) = \sum_{k=0}^{T-t} D(k) u(c_{t+k})
ただし$ D(k)=\left(\frac{1}{1+\rho}\right)^k, $ u(c_{t+k})はその時点での効用
時間割引率$ \rhoが時間一定であることが特徴的(指数割引)
時間的距離と同様に、社会的距離に関しても指数割引が見られるという報告(ラクリン)
個人内の葛藤と時間割引
葛藤:近視眼的な自己と先見的な自己とのconflict (Ainslie and Nick Haslam, 1992)
色々な批判
なぜどちらかの自己がイニシアチブを取れるのか?
通常二つの自己は対等ではない
エルスターによる多時間自己の調停モデル
物語性と時間割引
時間割増現象
年功賃金が実は好まれる傾向=時間割引理論と矛盾する?
不快感も立て続けに増えていくよりも減っていくほうが好まれる
同種の現象が繰り返し生じる場合には、独立した異なる自己がそれぞれ受容するのではなく、一貫した物語として単一の自己が受容する性質が強く現れる
物語はハッピーエンドがいいよ
異時点間選択における時間
実は時間割引率は一定ではないことが報告されている(リチャード・セイラー)=双曲割引
通時的合理性の破れを生じうる
原因は同じ時間インターバルの感じ方の違いではないか?
ウェーバー・フェヒナー則
過去に向けても割引が生じ、自己同一性も逓減する
神経系との関係
うつでセロトニン分泌が低下していると時間割引傾向が強まる
コルチゾールやテストステロンも時間割引率の調整に関与
異時点間選択と不確実性下の意思決定
経済学:時間選好が主な時間割引を支配
心理学:不確実なギャンブルは報酬が得られるまでの時間が長いから、時間選好が働く
一方、進化生物学ではもらえないかもしれないという確率選好が支配的
不確実な報酬を好む人は時間割引をしない人なのか、する人なのか (Ohmura 2006)
衝動性などに還元する議論もある、まだ詳しくわかってない