シルクロード文化史
シルクロード文化史 / 長澤和俊著, 1983
シルクロード文化史 I
キンメリア人 BC 9-8c
騎馬民族, コーカサス -> メソポタミア, アッシリア
スキタイ (BC 7c-)
黒海沿岸 -> アケメネス朝ペルシアへ侵攻
ヘロドトス(ハリカルナッソス人)による記述
ギリシャへ穀物や繊維、家畜、金属などを輸出
東方へ進出して BC 4c ごろから匈奴としてモンゴリアを制圧
BC 2cには中央アジア全体を支配, 月氏を殲滅
スキタイ・匈奴ともにステップ路を通じた東西貿易を担った
オリエントとペルシア (ユーフラテス)
BC 3500 メソポタミアにシュメール人が発生
BC 2500 アッカド人の出現
BC 2000 北部にアッシリアの発生, 南部にはバビロニア (ハンムラビ王 BC 1950)
BC 1000 アッシリアの成長, バビロン含め三日月地帯全域の征服
BC 7c 新バビロニアとメディアがアッシリアを滅ぼす
BC 6c メディア属領ペルシアのキュロスがアケメネス朝ペルシアを興す
パサルガダエ, ペルセポリス
ダレイオス大王時代にガンダーラやインダス川流域から西エジプト、スキタイまでの大帝国を建設
BC 5c ペルシア戦争 (トルコ西岸イオニア地域のペルシャへの反乱, アテネやスパルタ)
BC 4c マケドニアがギリシャを征服, 統一
アレクサンドロス大王の東征(中央アジア, インドまで), ペルシャを制圧
遠征先の各地にアレキサンドリア(ギリシャ的市民都市) を建造, ヘレニズム文化を伝播
アレクサンドロス死後カッサンドル・リシマクス・プトレマイオス・セレウコス四朝への分裂
BC 3c バクトリア(太守ディオドトス)がセレウコス朝から独立
スキタイとギリシャの両文化を継承
パルチアの成立:イラン系遊牧民出身のティリダテス1世
ギリシャ的文化から始まるが、のちにアケメネス朝の後継者としての立場が強まる
漢とローマ
BC 2c 武帝が張騫を月氏に使わす(匈奴との対決)
1. 西アジアへの道と途中のオアシス路が公式に開通, 河西回廊に郡を設置
2. 大宛(フェルガナ)の征伐
3. BC 1cに入ると匈奴勢力増大のため西域放棄, 直後に日逐王を傘下に収めトルキスタン支配を完了
ローマは同じころパルチアと戦争
BC 1c-AD 1c頃まで和平
後漢と大秦国
前漢が滅びた後西域は離反するが、後漢成立後に再進出
班超がローラン(鄯善)と冊封体制を締結, その後ホータン、カシュガル等の西域全体と同盟関係を築く
部下の甘英を大秦国(ローマ帝国)に使わす - アレッポ, 地中海東岸まで到達
班超死後再び西域関係は希薄に
当時インド〜パミールはクシャン朝の勢力下
1c後半からローマはパルチアに勢力を伸ばす
シルクロード文化史 II
楼蘭王国
3-6世紀頃の西域諸国 - 高昌国(トルファン), 焉耆国(カラシャール), 亀茲(クチャ), 疏勒国(カシュガル), 于闐国(ホータン) ... 現在もオアシス都市
楼蘭(鄯善)
B.C.176から匈奴の記録に残る
B.C.77 前漢が王を謀殺, 鄯善国に改称 -> 中国風の文化に
3-4cまで栄えるが7cには消滅
カロシューティ文章: 3-4c頃に書かれた王命等の文章, サンスクリット語で記述 -> クシャン朝ガンダーラ文化の影響
ガンダーラ文化のほか、グレコ・ローマン文化の伝来を示唆する美術品などが発見
仏教伝来
釈迦 B.C.5cごろの人物
中国への伝来年代は正確には不明だが,後漢の楚王英(1cごろ)が信仰したことは恐らく事実
東漸西域僧による伝達 (e.g., 安世高, ローカラクシャ, 鳩摩羅什) -> 経典の漢訳
入竺求法僧の活躍 (e.g., 竺法護, 玄奘)
インドからガンダーラ地方への仏教文化の拡散
バクトリアのヘレニズム文化との融合, 仏塔信仰から仏像文化へ
例) 肉髻はギリシャでの結髪に由来する
石窟美術
インドの夏坐(岩陰での修業)に由来
バーミヤン, 敦煌, トルファン, キジルなどに石窟群
バーミヤンの石窟 - 日輪神(ミトラ神)やヘリオスなどのモチーフ
ササン朝ペルシア (226-651)
パルチアを打倒して成立, はじめからアケメネス朝ペルシアの後継を自称
ゾロアスター教を信仰
第二王シャープール一世の時代にクシャン朝インドを滅ぼす, 他ソグディアナからアラビア海まで支配
エフタル(北方遊牧民族)と度々対立, 6cごろまでに弱体化(カワード一世)
ホスロー一世がマズダグを追放, 突厥と結んでエフタルを崩壊させる
ササン朝時代に中国にガラスが伝来. ソグド人を中心とした通商
正倉院文化
唐の時代にはペルシャ系民族が多く長安に住み着く.貴族はペルシャ風文化をもてはやす
7世紀にイスラム勢力が勃興すると滅ぼされたササン朝末裔が長安に亡命
ソグド人の多くもアラブ軍から長安へ逃れた
ササン朝の文化が中国で現地化された
神々の東漸
ササン朝はゾロアスター教を信仰
鳥葬文化, 拝火などが特徴的
マニ教 - 3世紀にペルシアで誕生
シャープール一世統治下で優遇, その後追放
景教
日本には薬師寺本尊の須弥檀などに種々の文化の影響が観察できる
イスラム世界の成立
7世紀
トルコ民族
天山ウィグル王国