シリーズ新・心の哲学 情動編
シリーズ新・心の哲学 情動篇 / 信原幸弘, 太田紘史編
Chap.1 情動の本性
情動の歴史的関心 ... アリストテレス, デカルト, ヒュームなど
情動を他の心の状態や働きと差別化する因子は何か?
情動の存在意義は何か? - 合理性との関係は?
情動に関する二つの基本的立場
1. 生理学的反応への言及を本質的に含むタイプ - 意味論的内在主義と対応
e.g., ジェームズ=ランゲ説 - 泣くから悲しい
feeling(感じ)説 ... 生理的感覚と情動とを同一視する
心理学的反論:情動に特徴的な生理的反応は、情動と無関係な状況でも出現する(e.g., 寒ければ鳥肌立つ)
心の哲学的反論:傾向性(ライル)
近年の再興 -> ダマシオのソマティックマーカーなど脳神経科学分野の知見
ダマシオは情動(emotion)と関係する感情(feeling)と関係しないものがあると注記
生理学的変化が情動の本質であるという意見は共有
「情動は脳の特定の状態に他ならない」 ... 脳状態を伴わない身体状態の変化は情動と別とすることができる
再反論:薬物による脳状態の実現は「悲しみ」の情動と言えるのか?
2. 命題的態度への言及を本質的に含むタイプ - 意味論的外在主義と対応
「認知主義的」見解
次郎の死を悲しむときと同じ脳状態が実現されても、次郎が死んでおらずそう信じてもいなければ、次郎の死を悲しんでいる情動ではない
次郎の死という外在的情報が情動の成立に不可欠である
...では実在しないものや誤った対象への情動は存在しないのか?
ソロモン「危険は、世界のそこにあるとして知覚されている」 - 世界そのものではなく世界についての命題
ザイアンス・ラザルス論争(認知主義への批判)
(1) 情動の指標になる表情や振る舞いは、(認知的振る舞いができない)幼児や動物にも見られる
→ 幼児や動物も認知的判断をするのでは?
(2) 例えば誤解による怒りは、誤解が解けても解除されないことがある
→ 信念解除は難しい、と考えれば解釈可能
生得主義 vs. 社会構成主義
ある性質が種に生得的である → その性質は普遍的になる
→ もし普遍的であれば、それなりの尤度で生得的と考えられる
逆に、ある文化的集団のみが持つ情動のレパートリーもあるのかもしれない
エクマンとフリーセンの研究
ニューギニアの未開民族に表情とシチュエーションの対応を推測させる
高い精度で西洋人の表情写真についても正解することができた
批判:そもそも情動表現と情動内容は同一視できるのか?(e.g., 悲しみ表現の多様性)
ピンカーら進化心理学者
情動=問題対応のヒューリスティクスは適応度を左右する生物学的機能
つがい形成と愛情など、情動のレパートリーには必然性がある?
批判:例えば中国ではロマンスよりも信頼性と友情を重視する
情動の社会構成主義
日本語での「いじらしさ」「甘え」、ドイツ語での「Schadenfreude」
情動は文化的に構築されていると言えるのではないか
批判:語彙と情動カテゴリーはイコールではなく、米国人がSchadenfreudeを理解できないわけではない
折衷的議論
基礎的な情動(怒り、悲しみ)は生得的で生理学的基盤を持つが、文化圏により組み合わせと語彙化に違いがある?
基礎的情動を扱う上では、進化理論的な基礎性(古い生物学的基盤がある?)と統語論的基礎性(原子性がある?)のどちらかに重点を置いて研究することになる
情動と志向性
精神医学の現場では精神薬理学・脳神経科学と同様に素朴心理学的アプローチも重視される
情動の社会性を強調するソロモンの議論
情動における「感じ」はジェームズの言うような身体的感覚(bodily sensation)のように限定されてはいない
怒っている時は、「誰か・何かに関しての怒り」なのである = 志向性
行動の可能性と不可分に結びついている(cf. 充足可能性・オシツオサレツ表象)
情動の同定(identification)には志向内容(=充足条件)の同定が不可欠
充足行動は特定の社会システムを前提とする
従って、情動は社会的で素朴心理学的に捉えられるべきものである
読後メモ
名前の与えられていない基礎的情動(大脳辺縁系管轄?)と生理学的状態は同一視出来る <- 生得的・普遍的レベル
基礎的情動を統合することで、充足条件=志向性が与えられ素朴心理学的対応物となる(前頭前皮質?) <- 社会依存
行動可能性と結びつくことで情動が社会的実在として認められ、語彙が与えられる <- 社会構成的レベル
Chap.2 自己制御と誘惑
二つの自分:誘惑する自分とそれに打ち勝とうとする自分
「二重システム理論」は心理学や神経科学の知見に基づく定式化
心理学における二重システム理論
学習(人工言語の無意識的文法発見)
演繹的推論(各種課題での信念バイアスの存在)
社会認知(価値観と振る舞いの相違モデル - 自動プロセスと制御されたプロセス)
意思決定(期待値計算と矛盾するリスク回避/追求バイアス)
システム1:進化的に古い, 無意識, 自動的, 迅速
システム2:進化的に新しい, 意識的, 熟慮的
神経科学における二重システム理論
バーンズとべシャラの理論
衝動システム(大脳辺縁系, とくに扁桃体)
熟慮システム(前頭前野 - VMPFC)
より強いシステムが意思決定を左右するとする
ハレらの研究
多数の食品について美味しいもの、健康によいものかどうかを評価させる
中くらいの品と比べて、「絶対に食べる」ものを判断させる
健康に基いて意思決定を行った群では、DL(dorsolateral)PFCがより強く活動
情動を司るVMPFCを、DLPFCが制御した?
二重システム理論における自己制御の概念
システム1:欲求や情動に基づく価値評価
システム2:物事の価値の知的評価
自己制御=システム2によるシステム1の決定のsuppression - 意志, 決意, 意図といった概念
自己制御における情動
一般的には情動は自己制御を妨げる, 一方情動関連脳部位の損傷により自己制御が困難になる事例も知られる
e.g., エリオットの事例(価値判断はできても実行できない)
VMPFC(ventromedial prefrontal cortex) - 社会規範, 将来計画, 生存最適化
大脳辺縁系や視床下部, 脳幹(によるソマティックマーカー?)を介した情動の間接的制御
アイオワ・ギャンブル課題(ダマジオ)
二種類の山のどちらかからカードを引く
一方はハイリスク・ハイリターンで期待値マイナス、他方はローリスク・ローリターンで期待値プラス
健常者は無意識にリスクを判断、ローリスク側を選ぶ傾向
VMPFC損傷患者ではハイリスクの山から引き続ける - 危険に対する否定的情動反応の不在(一方でスリルへの肯定的情動は存在?)
システム1の過活動
システム1における相殺的情動が必要(e.g., 薬物に対する恐怖心)
システム2による事後的正当化
「ストレスをためるのはよくないからタバコは一本くらい吸ったほうがいい」システム1の影響
価値の時間割引
今起こる出来事に比べて、未来に起こる出来事はプラスでもマイナスでも減じられて感じる, 情動系で典型的
指数的割引 ... 0~dtとT~T+dtの割引割合が等しい → 時間経過で価値大小が保存される
双曲的割引 ... P = A/T → 現在から直後に掛けて急激に価値低減が起こる → 時間経過による選好逆転が発生!
符号効果
マイナスの価値のほうが時間割引率が小さい
自己制御の喪失
リソースモデル (Baumeister 1998)
自己制御を行うと自己資源を消費し、自己資源が底をつくと制御が困難になる
e.g., ケーキを見ながらラディッシュ食べてからパズルを解くと、すぐに諦める
批判:具体的な実体は?
ふたつ目の課題の前に色々なclueを与えると結果が変わる - 実在的なリソースではなく認知的な問題では?
プロセスモデル (Inzlicht and Schmeichel 2012)
自己制御の喪失=動機や注意のシフト
自己制御を行うと報酬への注意が増大する -> e.g., "$"のアイコンに鋭敏になる (Schmeichel 2010)
批判:なぜ動機のシフトが起こるのか?結局リソースじゃないのか?
欲求や動機に一元化すると、必ず自己制御が喪失することにならないか?
読後メモ
システム1はすでにヒューリスティックな合理性を備える(ダマジオの事例)
双曲的割引が不合理的であると言えるのは、ある意味定常的な現代社会特有の事情ではないか?
事後的正当化が本当に事後的であると言えるのか?絶対的意志を仮定していないか?
Chap.3 先延ばしと情動
先延ばし=通時的な合理性の欠如, 近視眼的意思決定 → 情動の作用が大きい?
情動が存在しなくても先延ばしにする (cf. ダマジオ) → 適切な情動とは何か?
先延ばしの種々相
一言に先延ばしといっても色々なパターンがある
主観主義と客観主義(規範的なタイミングよりも遅いか)
主観主義への批判
本人が自覚していなくても周囲がどう見ても先延ばしと思う、というケースがある
実は無意識な先延ばしが作用しているのではないか?
誤って早くやらなければならない、と思っていた場合は?
実行段階と計画段階での先延ばし
やるべきと計画したことをやらない vs. やるべきという計画を立てようとしない (Stroud 2010)
弱い意図・漠然とした意図の形成問題
撤退と欲望再生の先延ばし
損をすると分かっているのにやめどきを見つけられない
欲望再生:大きい報酬を受容できる態勢の準備 ... お菓子を食べているせいで夕食を楽しめない
先延ばしの要因
1. 価値の双曲割引
行うべきことは報酬が大きいが遅く、行わぬことは報酬が小さいが迅速
「行わない」選択肢が近づいてくると、両者の価値が逆転する -> 繰り返し先延ばしする
負の報酬に関しても時間割引が起こる -> 今日より明日のほうが苦痛が小さいのではないか?
2. 情動
負の情動(恥の恐怖など)が行動を阻害することもあるが、やらなければならない、という情動も必要
VMPFC損傷患者では情動が希薄で、重要な事柄を情動的に感じ取ることが出来ない
3. 将来の自分への共感作用の不足
4. 課題設定の自由度の高さ
実践的判断力(今こそやるべきときであると判断する能力)
計画に従うだけよりも認知リソースを多く消費する
5. ジャムは昨日と明日 (Milgram 2010)
多くの重要な課題は、全体としての価値とその瞬間の価値の総和が一致しない
情動的な動機は常に現在具体的かつ明瞭に見えるものに牽引される
逆に、なぜ可能なのか? -> ダミー課題の設定による価値の可視化(e.g., 卒業セレモニー)
選好と意志
先延ばしは、その瞬間の選好充足の最大化をしている以上は一つの最適解なのではないか?(主観主義)
選好や欲求に還元されない規範性=意志をどう定義するか
価値の客観主義
事物や行動の価値は知的・客観的評価が可能であると仮定する
知的評価 - 説得による判断の翻意が可能(誤りの可能性)
意志の定義 = 知的に判断した価値の最大化
不純な意志
知的判断は絶対的ではなく、単に誤るだけでなく選好に左右される
行動の誤りは、格率の遵守失敗である場合と、誤った格率の影響による場合がある
先延ばしから見える人間の本性
理想論:選考に左右されない知的評価の確立, 選好に負けない意志を鍛える or 選好を意志に一致させるように訓練する
実際は難しいので、色々なテクニックが提唱されている
(1) 実行意図
if A then B型の行動計画
行動開始のための意志決定の労力を削減
(2) 自己制御力のテコ入れ
「週五日運動できなければ、外食はお預けにする」
より制御しやすい外食と、制御しにくい運動とを結びつける(自己制御力は局所的)
(3) 外的足場
他人や環境による行動の強制 -> extended mindの立場ではそれも心の一部
※先延ばしの効用
ある種の犯罪行為は長期的には利益があっても、時間割引で短期的危険性や恐怖が強調されるので忌避される?
違法行為を行うという事実自体に負の報酬があるのでは?若干怪しい
Chap.4 自己欺瞞
自己欺瞞とは何か? - 標準的な特徴付け
(A1) pが事実であることを知り
(A2) pを認めることに否定的な態度を抱き (e.g., 恐ろしさ, 不快さ)
(A3) pが事実でないと信じる状態へと自分自身をもっていくこと (e.g., 意識的または無意識的)
注:(A1, A2)は(A3)の直接の理由にはならない
例1. 苦手なスピーチを引き受けてしまった。
自分の不得手な部分は軽く、得意な部分を重く解釈するなど気分を切り替えてみた
そうこうしているうちに本当に自信が付いてきて、実際うまく行った。
例2. なんとなく自分の人生はうまく行っている気がしている。
しかし証拠はない。いい思い出は覚えやすく、悪い思い出は忘れやすいだけなのでは?
色々悪い記憶を思い出すことはできるが、それにしても肯定的な信念が消えるというわけではない。
どちらも定義は満たしつつ、道徳的悪とは直接結びつかず有用性すらある
* 例1に見られるように、自己欺瞞は制御不可能な情動によるとは限られず、計画的かもしれない
* 例2に見られるように、無意識的な過程に起因する自己欺瞞も存在する
より広い行動クラス
(1) 除去したい心的状態になった (A1+A2に対応)
(2) 何らかの行動によりそれを取り除く (A3に対応)
頭痛に対して頭痛薬を飲むのは自己欺瞞ではない
自己欺瞞は信念としての心的状態を伴うことが必要
紛らわしい例:来年気が進まない用事があるので、あえて間違えた日を手帳に記入する
都合の良い信念状態は(実際に成立している時には)証拠によって支持されている
嘘だと分かっている、というわけではないことが前提
今回自己欺瞞と見なすクラスは、(3)を経ても不都合な事実を「知っている」はずのケース
能動的に自らを騙し続けている
定義の精密化
(A4) 主体の持つ証拠全体は、(A3)の過程を経ても、pは事実ではないという信念を証拠づけない
欺瞞の主体に関する問題
状態を持っていく(直接手を下す)のはあくまでも自分自身
因果的推移(信者の不安が教祖の行動を通じて不安の解消を実現)は含めない ... 脳に干渉する自動機械があっても同様
例えば脳の障害を要因とする病態失認も含めない
4つの問題
1. 構造上の問題 - 相矛盾する二つの信念の同一の主体における共存はいかにして可能か
「pが偽であると知りつつ、pが真であると自分自身に信じさせること」は可能か?
...実際は困難な状況でpを信じているだけでは?(キャンティーン, グスタフソン)
「自己欺瞞」は一般に常識心理学的概念で、行動の解釈に綻びが生じたときに認知される
自分の子どもに冷酷な態度を取りつつ、私はあなたを愛していると主張する母親の例
(1) 単なる巧妙な嘘
(2) 自分が子供を嫌っているという事実に気づいておらず、愛しているという主張は常識的推論によるもの
(3) 自分は子供を嫌っているという事実に気付き、それを認めたくがないゆえに自己欺瞞に陥っている例 <- 情動の介在
自己欺瞞は常識心理学的に有用性のある概念
行動の予測に役立つ(解釈の安定点)
矛盾する信念を持てない、とするのは信念の実体化の誤謬を犯している
信念は行動の傾向性であり、行動は矛盾可能である以上、信念もまた矛盾できる
その矛盾は素朴心理学的にはまず「不気味さ」として感じ取られる
自己欺瞞における矛盾は「支離滅裂」とは全く異なる(その場合は自己欺瞞とは呼ばれない)
ある種の合理性を持って他の信念や欲求、意図などと結びついている
デイヴィドソン「合理性からの考慮すべきかなりの逸脱が、基底にひかえた合理性と整合する」
2. 戦略上の問題
一般に誰かを騙すとき、騙そうとする意図が知られてはならない
自己欺瞞を試みている時にはその意図を自分が「知っている」のだから、成功しないのではないか?(メレ「動的コンプレックス」)
対処1:自己欺瞞は意図を伴わずに可能である
対処2:自らの意図を知らずに騙されることが可能である
対処3:意図を知っていても、必ずしも騙されなくなるとは限らない
著者意見:これは単なる技術的困難さで、パラドックスというべき原理的困難ではないのでは?
意図的に自分を欺くことは一般的な技術
他人にウソを付いているうちに自分もそんな気がしてくる事例
無意識な都合のよい情報の選択も可能
願望的思考との違いは、否定的証拠が存在するか否か
無意識な選択も自己欺瞞の要因になりうるなら、器質的障害や錯視なども含まれるのではないか?
(A4)に「ただし、意図すればそうしないこともできなくはない仕方で」と書き加えるとより精緻になる
3. 情動の役割
自己欺瞞がそう呼ばれるためには、しばしば動機や願望(情動)が重視される
4. 非対称性の説明
相矛盾する二つの信念を持つとき、都合の良い信念と都合の悪い信念は対等ではない
自己欺瞞的信念は合理性の観点からどうやって特徴づけられるのか?
合理性の3つのポイント
(1) 合理性は規範があってはじめて定義される
(2) 信念帰属もまた規範性(当然こう考えてしかるべきだ)にもとづいている
(3) 帰属すべき信念を持てないなど、規範からの逸脱が必ずしも「非合理」とは言われない
...「鈍い」とか「不整合だ」と言われることはある(ヒンティッカ「弁護不可能な状態」)
不合理性の条件
本人自信が導き出すことのできた規範的信念を、なおも頑なに拒むこと
不合理の連鎖としての自己欺瞞
<pという都合の悪い事実がある> -> pを否定する自己欺瞞の発生
自己欺瞞への指摘を受けた場合
<私は相矛盾する信念を抱いているのだ> -> 自己欺瞞の存在そのものを否定する自己欺瞞の発生
常に認めたくないという情動が原動力として作用する
Chap.5 妄想とその原因
妄想とは何か?
DSM-5における定義
外界についての、誤った推論に基いた偽なる信念であり、およそすべての人が信じていること、
また、それに対する明らかな反対の証明あるいは証拠に抗して、堅く保持される。
問題
外界の定義でなくてもよいはず
誤った推論に基づかなくてもよいはず
結論が偽でなくてもよいはず
妄想の基本事項
統合失調症のほか, 認知症, 脳卒中, 薬物使用などが原因になる
代表的な事例:被害妄想, 誇大妄想, 恋愛妄想など
奇妙な妄想
カプグラ妄想(見知った人物が偽物とすり替えられたと信じる)
コタール妄想(自分が死んでしまったと信じる)
単主題妄想と複主題妄想の違いがある
妄想についての3つの問い
(1) 妄想の原因
認知神経精神医学などのアプローチ
(2) 妄想の結果
妄想の内容と整合性のない行動が知られている(カプグラ妄想を抱えつつ受け入れて振る舞うなど)
信念ではなく想像である、動機と情動が伴わないなどの分析がある
(3) 妄想それ自体について
妄想は信念に固有の機能的役割を果たさない - 意図的行為や情動との乖離, 真偽判定への鈍感性, 他の信念との整合性など
"空虚な発話", "ボーダーラインケース", "想像"などの解釈がある
妄想の二要因理論
マハー「妄想とは、正常でない知覚的な現象を説明するための仮説」
知覚的・経験的な異常を唯一の要因として通常の推論の結果生じると考える 「一要因理論」
相貌失認 - 顔認知システムでは異常があるが、見知った顔への情動反応は失われない
カプグラ妄想 - 逆に顔認知と情動系とのコネクションに問題がある?(実際皮膚反応の違いが生じない)
... 一方、同様の皮膚反応差異の消失が生じる病気ではカプグラ妄想は生じない -> 一要因理論の限界?
二要因理論の構造:要因1が妄想の内容を説明し、要因2が妄想の維持を説明する
第二要因の仮説
(1) 結論への飛躍バイアス
妄想の堅持性について説明できない
(2) 帰属バイアス
カプグラ妄想は外化帰属バイアス、コタール妄想は内化帰属バイアス?同時に生じる場合の説明が困難
(3) 観察十全性へのバイアス
信念的保守主義に対して観察への異常な重視が原因とするもの。飛躍バイアス同様の問題を持っている
(4) 知覚に対する批判的吟味の欠如
健常者は錯覚がキャンセルできずとも正常な判断ができるが、これができなくなるというもの。
「真に受ける」ことが原因である以上、知覚の異常は相当具体的な内容を伴わなければならない
ベイズ主義二要因理論(コルトハート)
実は妄想はベイズ的に合理的であるという仮説
カプグラ妄想は以下のように説明できる。(A:本当の妻)
(1) P(Aは他人) < P(Aは妻)
(2) P(自律神経反応の欠如|Aは他人) >> P(自立神経反応の欠如|Aは妻)
(3) P(Aは他人|自律神経反応の欠如) > P(Aは妻|自立神経反応の欠如)
このベイズ的判断に対して、別の証拠により改訂を行えるか否かが「第二要因」
問題:具体的な係数の根拠が無い, そもそも正常な認知的判断=ベイズ的合理性とは限らない
実は妄想患者のほうがベイズ的に合理的な判断を下す傾向があると知られている
情動の直接的関与
マクローリン「実存的な感じ」 ... 情動に類する心的状態で, 誤表象可能性があるもの
カプグラ妄想における「見慣れない感じ」「疎遠な感じ」
これらのアイディアは依然として相関しか示せていない
離人症などの特異な「実存的な感じ」を伴う疾患でも妄想は発生しないことがある