絵画技法(禁教)
該当作品の特徴
禁教の迫害もあり制作者は不明
金色を意識して特別な黄色を使い分けていた
日本で知られていない顔料による黄色だった
絵画技術史の中から忘れ去られていた顔料だった
近世の油彩の技法と材料
十六から十七世紀に西洋人が渡来し、宗教画の初期洋風画が描かれた。初期洋風画には油彩画や半油性の技術が見られるが、それはセミナリオにおけるイタリア人指導者の美術教育によるところが大きい。
セミナリオ:イエズス会の作った神学校
油彩がもたらされて、「初期洋風画」として扱われる
キリスト教なので迫害されることになる
セミナリヨを設置するための場所選びが始まった。京都に建てることも考えたが、京都では仏教僧などの反対者も多く安全性が危ぶまれた。そこで織田信長の元を訪れ、新都市安土(現・滋賀県近江八幡市安土町)に土地を願った。
安土では30人ほどの学生が住み込みで学んでいたが、本能寺の変の後で安土城と市街が焼けると、脱出せざるをえなくなった。その後、高槻に移転したが、1587年の豊臣秀吉の禁教令によって九州移転を余儀なくされた。セミナリヨは長崎、有馬、加津佐、天草などを転々としたが、1614年の徳川家康の禁教令によって閉鎖された。
鎖国は1639年
初期洋風画も途絶える
紙本著色聖母十五玄義・聖体秘跡図 - Wikipedia
当時の宗教画
原田家元:2種類現存する「マリア十五玄義図」のうち後で発見されたもの
《マリア十五玄義図》再考 : 「神殿奉献」場面を中心に
現存するマリア十五玄義図は、京都大学所蔵原田家元(図1)と東家元(図2、茨木市立キリシタン遺物史料館架蔵)の二点があり、東家元は一九二〇年、原田家元は一九三〇年にそれぞれ先祖代々の開かずの櫃、民家の屋根裏に張り付けられた竹筒の中で発見された貴重な南蛮美術の遺物である。
黄色に特徴がある
文字やハローなど特別な質感を必要とする黄色の絵具
「マリア十五玄義図」について(原田家元)
顔料については、日本の顔料が多用される中、文字や光を表現する金色を意識した黄色にのみ、日本での使用例がまだ知られていない鉛錫黄顔料が使われた可能性が指摘されています。この顔料は、14世紀から18世紀にかけての西欧諸国では、黄色の代表的顔料として絵画に用いられていたものです。さらに、この黄色顔料の部分については、艶や亀裂などの生じ方に、油絵具との類似性が報告されています。この研究により、日本にやってきた宣教師たちが顔料を持ち込み、一部それを用いていた可能性が新たに見いだされたのです。
文字や光輪は金色を意識している
日本で知られていない黄色
東家元で使われている黄色も、カーテン部分とレース / 聖杯部分で黄色の成分が異なるという
制作者は不明
京都大学所蔵「マリア十五玄義図」の調査
作者については,人物の「頭部が大きく太く短いのは,甚しく日本的」などとして,「日本人が西洋画を模倣」したもので東家本の作者と同一であり,高山右近のいた高槻地方を中心にかなり優れた無名の吉利支丹画家が活動していたものと推論している。
高山右近:キリシタン大名
安土セミナリヨに代わるものを高槻に建設
セミナリオがいったん高槻に移転できた理由
前述の黄色の詳細
黄色顔料には少なくとも二種類が使用されているのを観察できる。文字や光(ハロー)を表現する黄色(Y1)が一つである……これらは明らかに金色を意識した用い方のように見える。
重元素を含む当時の黄色顔料としては,鉛と錫の合成顔料である鉛錫黄(Lead-tin yellow)*〔KUHN,H.1968〕が最も可能性が高い。鉛錫黄顔料の我が国での使用例はまだ報告されたことはない。14世紀から18世紀にかけての西欧諸国では,代表的な黄色顔料として絵画に使用されているものである。
*鉛錫黄(Lead-tin yellow) 1940年代にDoerner-Institute(Munich)の化学者R.Jacob〔JACOB,R.1941〕が絵画の分析によって顔料の存在を明らかにした。それ以前は絵画技術史の中から忘れ去られていた顔料である。18世紀までは用例は多いが,次第に鮮やかな黄色顔料の合成が成功するにしたがい,使用されなくなっていった。
絵画技術史の中から忘れ去られていた顔料