社会反映論の落とし穴
社会反映論
ある時代の社会の出来事ないし精神性が、作品(とくに物語)に反映されるという構造の論証
根拠(=出来事と精神性)とともに推測される
どれも考察好きが多い
安易な社会反映論の何が問題となるか
アニメもマンガもフィクションである以上、その内容のすべてが現実を反映しているわけではない。それゆえ、批評家はそのうちの一部を現実の反映ととらえ、その他の部分は現実の反映ではないと解釈する。例えば、『コード・ギアス』の中のナショナリズムは現実の反映だが、ギアスと呼ばれる超能力の存在は現実を反映しているわけではないと解釈される。しかし、このような切り分けは恣意的である場合が多い。
ギアスという超能力が空想すぎて、社会反映論で扱いきれない
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社会反映論のうさんくさい部分
社会反映論のどのへんがうさんくさくなりがちかを考える。
以下は、必ずしもすべての社会反映論に当てはまるわけではないだろうが、社会反映論(とくにクオリティの低いもの)にしばしば見られる欠陥である。
(a) 反証可能性がろくにない。
(b) 端的な事実誤認がある。
(c) 事実の部分が作品の解釈次第で変わる(そしてその解釈は恣意的である)。
(d) 都合の悪い事実を無視する。
(e) 主張される仮説とは別に暗黙の仮説がくっついている(そしてそれがあやしい)。
(f) 他の考えられる仮説との比較がない。
一定の作品(群)に一定の特徴的なパターンを見いだす。
その作品(群)の属性に関連する何らかの事実を持ち出す。
その作品(群)がその特徴的なパターンを備えているのは、そうした事実のゆえであろうと推測する。
この手続きの形式は通常のアブダクションであり、とくに問題ない。だがその内容として、常識的に考えればそんなわけないだろうとしか言えないような、無駄に壮大な推測がなされることが少なくない。
端的に言えば、大半のケースにおいて、ある作品(群)が一定の特徴的なパターンを備える要因を説明するには、その作品(群)が属する文化的カテゴリーの事例群とその歴史的変遷を十分に知ってさえいれば、同時代の社会的・政治的状況や特定の集団的メンタリティ(たとえば「民族性」)などといった大げさな事柄を持ち出すまでもないからである。
より端的に言えば、質の低い社会反映論の大半は、単純に当の文化的カテゴリーの成り立ちについての知識がろくにないせいで、無意味でズレた推測をしているだけということだ。
ある作品がこれこれのあり方をしているという事実は、何らかの集団的メンタリティを持ち出さなくても、十分に説明がつくことがおそらく大半である。
作品が特定のあり方をしていることの原因は、直接には作者の意図と行為であり、次に作者の意図と行為を構成する作者の認識や知覚や価値観や技術であり、その先には作者を取り巻く制作上の慣習(たとえばそのジャンルのお約束)や注文主・受け手の個別のニーズがあると考えてもいいだろう。
以下が作者からの距離に比例し、作品のありかたに影響すると考えられる
クライアントの要求
社会反映論は、そうした作品制作上の個別的な文脈から離れて、当の社会に広く通底する何らかのものが作品のあり方に因果的な効力を及ぼしているという発想をするわけだが、そのような仮説の手前に、はるかに「地に足の着いた」仮説の候補がいくらでもありえる。それらのごく常識的な仮説との比較をしないかぎり、社会反映論が一定以上の説得力を持つことはないだろう。