10あったら9を捨てる
2023年5月11日
結構話題になったようだ
その学長の講演
ChatGPTや量子コンピュータというのは、効率を最優先に考えていると思います。無駄をしないということです。指示の文章を打てばそれなりの答えが出てくるわけです。ただ、美術は無駄をしないといけないのです。10あったら9を捨てないと駄目です。9を捨てないと本当のことを得られない世界です。ですので、無駄をするということ、あるいは失敗をすることがとても大事です。
ChatGPTは言語が前提になっています。言葉で指示を打ち込まないといけません。しかしファインアートを志向している人は、言葉が割と苦手な人です。言葉で伝えるよりも色や形やマチエール(絵肌)で伝えたいという人です。言語によるコミュニケーションよりもそういったものでもっと緻密に伝えたいと思っています。言葉はコミュニケーションの道具としては決定的に強い力を持っていますが、全部を言葉ですくい取れるわけではありません。絵画はもっと緻密に色々な感覚や感情を表出できるものです。
特に美術大学は、コミュニケーションとは何かを探究するところです。もちろん言語での探究もありますが、色や形を使った探究でもあります。本質的に人間と人間が対話するとは何なのかという問いかけでもあるので、そういう意味ではインターネットや生成AIもそうですが、コミュニケーションとは何かという問いにも直結しています。
10あったら9を捨てる、との対比で「85%は表面を見るにとどまる」が連想される その8割に届くにすぎないコミュニケーションを捨てる選択肢がある ファインアートは基本的に無駄をしていることです。例えば絵を描く、彫刻を作る、それが世の中からなくなっても世の中は回り続けます。つまり、すぐには役に立たないものです。しかしそれがなくなってしまうと、人間が人間でいられなくなるようなものです。
絵を描くということは、もう衝動としか呼べないような、言語化できないことです。そういうものが美術のベースを支えているわけです。けれど、ChatGPTは基本的には言葉がベースです。そこはファインアートと馬が合わないです。