オリジナリティには助走が必要
学生の卒論を読んでいると「明らかに変なことを言い出す」瞬間があり、しかもそこにオリジナリティが光り輝いていることが往々にしてあります。ポイントは「それまでなんてことないのに突如おかしくなる」こと。オリジナリティには助走が必要、ということでもあります。
ここでいう「おかしなこと」というのは「意味不明なこと」ではありません。しいて言い換えれば「非常識に聞こえること」「間違えているかもしれないこと」です。いうまでもなく、「真理にふれる」ことがあるとすれば、そういうことだけです。「正しいことだけ」をいくら言っていてもダメなのです。
絵のTIPSとして、実際に描き始める前に「フリーハンドで直線をひととおり描く」といった準備運動的な行為が挙げられることがあるが、そういうのをまとめて「助走?」と思ったことはあった が、そのフリーハンドの直線がもたらす成果は「直線における正しさ」に依存してそう
それがTIPS扱いでいいのだろうか
独創性という語の抽象度合いが高いので、それの解釈が異なってくること自体は問題ではないが、TIPSとされる程度には、優等生的解答として前述のやり方が挙がってきている