学部の研究生活を振り返って
2023/1/29 05:15 不安になって一度削除していましたが、内容に問題はないと判断したので再投稿
はじめに
自分のここ二年間の学生生活は、長い苦悩であり、同時に、自分が10年かけて戦ってきた自分の不安定さに、初めて勝利らしい勝利ができた時期でもあった。研究室の同級生に、後輩の参考のためと軽く依頼される形で誘われたので、この機会にこの二年間を振り返ってみようと思う。
研究室の同輩は「学部生レベルで大したことができるはずはないのだから、落ち着いて目の前の物事を実行するべき」と前々から言っていた。初めて聞いた時は、なるほど、そういう考え方もあるのか、と大いに気付かされた。今回はこのメッセージを振り返りのきっかけとしたい.
「意思決定」をしよう
僕がこれを初めて聞いたのは、精神的に追い詰められている時で、友人が助言として言ってくれたのだった.なぜ俺は卒論ができないのか、と鬱々としていた自分の考えを、ふと緩めてくれた(ありがとう)。だからよく記憶に残っている.それに、「落ち着いて目の前の物事を実行するべき」という結論にもほぼ賛成だ。
その時の僕は,一年以上に渡って進捗がほとんどなく,焦っていた.ひたすら自分がうまくいかない理由を探しては試行錯誤を繰り返していたが,進捗は出ず,先生との会話もどこかうまくいかず,卒論のことを考えるのもいやだ,という段階にあった.友人の助言を聞いてすぐに解決に至ったわけではないが,うまくいかなくても当たり前なんじゃない,という一言は大きく響いた.今から改めて振り返ってみても,目の前の物事を一つ一つ実行できることは実力を伸ばすために重要だと思う.そこで,僕も後輩のみなさまには同様のメッセージを伝えたい.
ただ、「学部生レベルで大したことができるはずはない」というのを後輩に向けて純朴に言ってしまうのはやめた方がいいと思っている。「学部生の時点で上手くいっている人」が人口比で見て珍しいのはそうかもしれないが,もし万が一にも、うまくいく素質を持ち、うまくいくように努力している人間に「あなたもどうせうまくいかないかも」と言ってしまったら、ちょっと虚しい.
そこで、僕から後輩に送りたいメッセージの一つは、「研究室の活動をコツコツこなすことが、将来の成功に効果的につながっているよ」ということだ。どうせコツコツやるなら、「それが良い選択だと考えたから」という,前向きな理由で取り組んでほしいと思う。それに、落ち着いて整理すれば、さまざまな選択肢の中でも「研究室のカリキュラムをちゃんとやる」というのはかなりいいものだということがわかる。
研究室のカリキュラムについて
試しに一つ、選択肢を考えてみよう。研究室のカリキュラムに手を抜いて、自分のやりたいことを気ままに勉強したとする。独力で勉強を進められるのは素晴らしいことだ。しかし、進路選択の時には、どんな進路でも「私はこれをやってきました」という証拠が出せる方が有利だ。自分一人で勉強してきた成果を、相手に信じてもらえないことはままある。伝え方を工夫したり,証拠の出し方を考える必要がある.
その点、乾研のカリキュラムは、100本ノックや言語処理勉強会など、参加者が相互に品質をチェックし合う仕組みになっていて、プレゼン資料やソースコードの形で簡単に学習を証明できる。100本ノックやプレゼン資料を蓄積していくのはそれだけで将来の進路選択に役立つ。内容もしっかりしている.他にも判断の基準はいくつかあるが,どの視点で見てもかなり良い学習方針だと言えるのではないだろうか?
他にも、資格試験を頑張ったり、他の研究室に行ったりなど、いくつか選択肢が考えられる。研究室のカリキュラムをコツコツやることをおすすめするのは変わらないが,ぜひ自分で選択肢を吟味し、良い意思決定をして欲しいと思う。
ちなみに、僕はカリキュラムにあまりついていけなかったので、論文は人一倍たくさん読んでいても、進路選択には役立たなくて困った。特に松林先生に研究生として受け入れをお願いしたが、ダメだと言われてしまった。カリキュラムの消化不足が主な理由だった。
卒業研究の意義
蛇足だが、卒業研究も同様の意味で重要だ。しかし,一言で言ってしまえば,卒論とは単なる訓練であり,研究の流れをなぞる体験学習であり,そこで何を書いたかはおまけにしかならない.
誤解しないでほしいのは,これはあくまで,学部卒業時点で,各進路での選抜競争を考えたとき,卒論の中身がどのくらい競争力に転換されるか,という意味だ.いくつかの進路を整理してみよう.4年次夏の修士課程選抜ではほとんどの人が卒論ができあがっていないのだから,当然に院に進む場合の卒論による競争力はゼロだ.学部卒で就職する場合もスケジュールの問題で同様だ.卒論の品質にこだわる必要は,少なくとも学部卒時点ではないと言っていい.
とはいえもう少し先のことまで考えるなら,もちろん話は変わってくる.松林研を含む工学系の修士に進学する場合、テーマ決定、実験、執筆といった一連の流れをかなりの割合で独力でこなすことが期待されるので,卒業研究で時間をかけて充分に試行錯誤をしておくべきだ.さらに,工学系の研究者としてのキャリアを目指すなら,学部生のうちに国際学会に通すつもりで,かなりの時間を投入する覚悟をもって進めるべきだろう.なんにせよ,どの時点でどういう競争力が欲しいのか,そのために何が必要なのかを普段から考え,ノートなどにまとめておくのがよいと思う.
蛇足を重ねるが,僕の知る限り,修士はとても忙しい.修士課程は入学後8カ月程度で成果が必要になる.その時点での成果が修士卒時点での進路選択の競争力になる.このことからも,一人で研究を進められる人間であることがいかに重要かがわかるのではないだろうか.視野を広く長くもち,選択肢と必要な競争力を整理し,吟味して意思決定する習慣があると安心だ.
おわりに
僕が所属しているサークルのメンバーは、年齢に関わらずさまざまな賞を獲っている。僕が長年親しくさせてもらっているサークルのトップは、高校の時期から数学の査読論文を出して、最年少で日本数学学会の学会員になったりもしている。そして、つい数週間前にも、後輩が開発イベントで優勝して賞金を手にしたところを直接イベント会場で祝ってきたばかりだ。そういう人たちに囲まれていると、学部生だからどうだ、とかは考えたこともなかった。だからこそ.冒頭の助言は僕の肩の力を抜いてくれたのだと思う.でもそれを後輩に純朴に伝えてしまうのは少し抵抗がある.僕が何かをできない時は、ただできない理由があるだけだと思っていたし、それは今も変わらない。
とはいえ、あなたは卒業論文で「すごい研究」を書かないといけない、というわけでもない。強調しておきたいのは、成果を出そうと思った時、抑圧や不安が最大の障害になるということだ。だから、すごい研究を書かないといけないとか、自分はどうせ大したことはできないとか、そういう理由ではなくて、常に与えられた選択肢のうちから最善を選ぶことを積み重ねていって欲しい。
競争力の話ばかりしてしまった.もちろん,競争をするのが研究のすべてではない.研究室が雑談の場として機能しなくなり,単なる知的サイボーグ養成工場(語弊)になりつつある現状はほんとうにいやだと思う.僕たちが機械学習モデルを訓練しているようでいて,実際は僕たちがまるで機械学習モデルかのように訓練を受けているし,受けざるを得ない部分がある(もちろん,それにはカリキュラムの提供側から見ても仕方ない側面や,お互いに良い側面も大きい).情報収集と合理的判断とエビデンスがモノを言う進路ゲームには効率的に勝利し,そのうえで本当に大事なことに時間をかける精神が重要だ.最後に,本当に大事なことはなにか,少しだけ触れて終わりたい.
僕は4年間プログラミングばかりやってきたので根がエンジニアなのだが,エンジニアの立場から,ビジネス寄りのこと,アカデミックよりのことに目を向けてきた.そこで理解したことは,エンジニアリング・ビジネス・アカデミックのいずれにおいても,想像力を発揮し,「ちゃんとしているかどうか」にとらわれないで,いたずら心やユーモアの精神をもって取り組むことが大切だということだ.「ちゃんと」しようとすればするほど,既存のやりかた・考え方にとらわれ,成長・変化・イノベーションの可能性が奪われる.むろん逸脱しすぎて攻撃性を持つのはよくないが,物事をシンプルに捉え,興味をもって取り組んでほしいと思う.そして,コロナ禍では失われやすい,日々の出来事や自他の感情に目を向ける時間もぜひ大切にしてほしい.なお,こうしたことは現状の研究室ではすこしやりづらく,各自の趣味の枠内で進めることが必要だ.本当に残念なことだ.