この殺人願望が他人に向くことはないのだろうか
ないと思う。まぁ人格は時とともに変わりゆくものとはいえ、将来にわたって他殺を実行することはないのではないか。
僕は本当に他人の幸福を願っているし、自己を殺害する欲求は、他人を幸福にしたいと言いながらサディズムとマゾヒズムで矛盾している自分に対し、サディズムが優越したときに起こる。そもそも他人を幸福にしたいのでなければ、僕という人間はさっさと自殺するべきであると思っていて、その一つの表れが「死にたいなら死ね」という標語。僕の殺人願望は他人の幸福へと前進する態度と表裏一体であり、その限りで制御を失うことはないと思う。