12月の私が8月の記事を読んで:合理性と美意識
長い時間が立った。読みに来てくれてありがとう。このプロジェクトは相変わらずUserScriptとエッセイ記事の無造作な混合状態で構成されている。この記事を開いてくれる人はただの気まぐれか、あるいはほんの一握りの僕に興味を持ってくれている方なのだろうと認識している。
そんな存在意義のあいまいなこのプロジェクトだが、あらためて読み直すと気づかされる点があまりにも多い。このプロジェクトから離れているうちにいろんなことがあった。私は大きな挫折を経て大きく考えを変えた。それで、挫折から回復したプロセスをまとめておこうと思って、このプロジェクトの最初のほうの記事を読み直している。
感情と...?
高度に知的で内観的ないじめっ子の、逃げ場のない話が書きたい
一晩たってこの欲望の着地点と再出発が見えてきたという話
福祉の射程
僕は久しくこんなものの考え方はしなくなった。過去の自分からは地に足のついていない、しかしなにか美しさに従って生きていることをにおわせるような生き方を感じる。美意識の明らかな人間が書く独白はこんなにも美しい。今の自分には書けない。夏の陽気がそうさせたのだろうか? 人は100日強でこんなにも姿を変えてしまうのか。
僕はこの数カ月で多くのことを改める羽目になった。僕はいよいよ不安症を強め、不安にとらわれすぎないようにどうすれば生活できるのかという日常と仕事のテクニックを必死になって集めるようになった。今の僕はこんな物語性の強い自己認識はしない。たとえ美しくなくても、仕事と今後の予定に関する、有用で合理性の高い考え方と資料を愛する。そうでない考え方で頭を独占させることは、仕事と生活の失敗を招き、自分の心身を疲弊させ、僕を不安の闇の中へと放り込んでしまうと、本気で信じている。現に今、僕は、いかに過去の自分が「自分の思考が実証的でないのに気づき、実証性を高めていくのか」というテーマで自分の記事を調査している。
僕は多くのものを学んだ。それで解決したものは大きいはずだ。後戻りするつもりはない。それでも、思ったよりも多くのことを失っていたようだ。後ろ髪をひかれながらではあるが、この美意識の感覚を心の片隅において前に進んでいこうと思う。
心なしか、この過去の自分の断片は暖かくて、不安と疲弊をやわらかく解きほぐし、前に進む勇気を与えてくれるようにも感じる。