福祉の射程
しかし改めて考え直してみれば、そうやって再定義した「福祉」の姿こそが、私にとっての新しい福祉であったことがわかる。より多くの人々の福祉を考え、人々の喜びや幸せに純朴に共感し、人々に自らを捧げる人間を目指したとしても、私は理想の善人には(随分近づきはしたかもしれないが完全には)なりきらなかったし、福祉そのものを放棄して自殺を望んだりすることが、苦しみに苛まれるばかりの人生を定義したりはしなかった。「社会や死を意識しながら生きる」ことが、私の新しい幸せの姿になっただけのことだ。
とはいえ、それは私も、中高で思索を深める中で明瞭に意識していた。再定義された「私の欲望」でしかない善だとか、自殺を決意しながら生きることの矛盾だとかは、当時からのメモが大量に残っている。そこから生まれたのが、高度に知的で内観的ないじめっ子の、逃げ場のない話が書きたいで語られた「自殺しなかった私を殺したい」という欲望、そして感情と...?で曖昧さの中で描いたような他者貢献に向かってもがく自分だ。まさしく、新しく作り出された「私の福祉」が、私に自己矛盾をもたらしていたことがわかる。 そこでの精算として、そういった「私的な福祉の再定義」によって問題の解決をすることはできなかったじゃないか、というある種の撤退と原点回帰が、一晩たってこの欲望の着地点と再出発が見えてきたという話だ。あくまで、全体性や死に向かっていく方向性は残したまま、「私の福祉」のありのままの姿を、それらとの対比の中で考えていこう、という方針だった。私の福祉が全体の福祉や、自らの死と向き合う誠実さなどと矛盾しうることを認めつつ、そういうわがままで薄っぺらな「私の幸福」にこそ真剣に向き合う必要があるんじゃないか、それをしないでは、社会も死も真剣に考えたことには全然ならないんじゃないか、という疑問なのだ。 私の心は揺れ動く。それは社会にも死の恐怖にも常に繋がっているもので、そこから無縁ではいられない。一方で、反社会的なことを願ったり、一時の安らぎと快楽に我を忘れることも往々にしてある。しかし、本当に意識しなければならないのは、そういう揺らぐ福祉を、多人数分まとめて称したのが「社会の福祉」であり、また、そうして過ごした人生の終わりこそが死であるということだ。目の前にあるこの揺らぎに目を向けないで何を見るというのかと思う。そこに再出発がある。
社会への奉仕も、死を受け入れる誠実さも、この揺らめくものへの愛でなくてはならないのだ。福祉は常に解釈を伴う。それゆえに社会の福祉も、そこへの逃避としての死も、果ては私の福祉でさえも単なる虚像なのかもしれない。そうであったとして、私の行先はその虚さ・曖昧さへの愛であり、それが垣間見せるリアリティへの信仰の他にはあり得ない。