感情と...?
僕は感情に弱い。感情に鋭敏すぎる。
面白い仕事はいや。不毛な仕事がしたい。単調でも知的でもどちらでもいい。不毛な仕事がしたい。心を動かされない、集中すればするほど、感性を削り取ってきて、いつの間にか全てがグレースケールの世界になってしまうような、そんな体験が生活を埋め尽くしていてほしい。
僕にとっては何もかもが眩しい。
得意な仕事も、絶望も。何もしていなくたって世界は美しいと思う。ここにある色覚と音と感触。ただそれだけで本当に美しい。雑然とした部屋も、ほったらかしの洗い物も美しい。
いや、ほったらかしたところにが美しさが宿る、とか、そういうことが言いたいんじゃないけど。とにかく、僕は今ここでこうして何かを感覚しているというただそれだけのことに、根源的に、奇跡的なものを感じる。僕はなぜ何かを美しいとかそうじゃないとか言える、その根拠になる感覚というものを今ここに持っているのだろうといつも思っている。
全ては美しい。美しくて、眩しい。逃げ出したい。目を閉じても感覚はやってくる。
それでも、何かに夢中になっている時は違う。忘れていられる。目の前の美しさに気づかないでいられる。そこには他人とのコミュニケーションがあっちゃいけない。自分のためにも、他人のためにもならない、全くの無駄だと思える部分に従っていると思えないといけない。そうでないとあっという間に僕の頭を喜びだとか怒りだとかがいっぱいにして、僕はすぐに立ち上がって、部屋の中をうろうろし始める。何も手につかなくなる。
そこには何もない。何もないということさえ美しいから、僕は自分の頭の中をそんなふうにいっぱいにして、うろついていたくはない。僕にはいつも不毛さが必要だ。僕の目を塞いでくれる何かが。
死
死は本当によくわからない。僕は死にたいと思う。死んだっていいと思う。きっと美しいと思う。何かを理解するだろう。だから死にたい。そこに究極の不毛さがあると思う。恐ろしい。死は恐ろしい。
死は僕の頭の中をすぐにいっぱいにしてしまった。今この時も。僕は死が嫌いだ。そこにある無限に重ねられた美しさが嫌いだ。僕は狼狽える。いなくなるのは構わない。でも死に至る道のりは美しく輝いている。燦々とひかる死に僕は近づいてはいけないと思う。考えるべきでなかった。
僕は他人のために生きてみたいと思う。いつか自分がうろうろしないで、人のために全てを捧げられたら幸せだと思う。それは他人が嬉しいから幸せだとか、僕が役に立ったから幸せだとかではなくて、僕の頭の外にある目指すべきもの、美しくなくて、それでも僕がやりたいと思えて、不毛でなくて、そういう僕がたどり着けない何かへの欲望だと思う。僕の中で輝くことのない何かが僕を導くことがあったとしたら、それは感謝すべきことだと思う。
終点だ。降りよう。終点の先に何があるのか、僕にはわからない。