百人斬り報道
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こちらは毎日新聞社から 1989年に発行された「 昭和史全記録 1926~1989 」
『百人斬りは事実無根だった』とはっきり書いてあります。
つまり、当時百人斬りの記事を書いた東京日日新聞、今の毎日新聞社自身が百人斬りは事実無根だと認めているのです。
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百人斬り”超記録”
→12:12 【紫金山麓にて十二日浅海、 鈴木両特派員発】 南京入りまで『百人新リ競争』といふ珍 競争をはじめた例の片桐部隊の勇士向井巌少尉は、十日の紫金山攻略戦のどさくさに百六対百五といふレコー|ドを作って、十日正午野田少尉とさすがに刃こぼれした日本刀を片手に対面した。
野田「おいおれは百五だが貴様は ?」向井「おれは百六だ !」両少尉は「アハハハ」結局いつまでにいずれが先に百人斬ったかこれは不問。結局「ぢやドロンゲ—ムと致そう。だが改めて百五十人はどうぢや」と忽ち意見一致して十一日からいよ いよ百五十人 斬りがはじまった。十一日昼中山陵を眼下に見下す紫金山で敗残兵狩真最中の向井少財が「百人斬ドロンゲー|ム」の顛末を語ってのち、知らぬうち
これが百人斬り記事の実物
①記事には民間人を殺したとは書かれてない
②写真は南京ではなく常州で撮られた
③記事は南京陥落前の話で中共の言う大虐殺とは関係ない
④記事を書いた毎日新聞社自身が百人斬りは創作と認めている
あなたが知らない事こそが中共教育の成果ですね。
The Mainichi Shimbun wrote in 昭和史全記録 (1989) that the Contest to kill 100 people using a sword in this article “had no basis in fact”.👇
による英語からの翻訳
毎日新聞(1989)は、この記事で刀を使って100人を殺すコンテストは「事実上根拠がなかった」と書いています。
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「野田少尉は無錫を距る八キロの部落で敵トーチカに突進し、四名の敵を斬って先陣の名乗りを上げ、これを聞いた向井少尉は憤然起って、その夜、横林鎮の敵陣に部下と共に踊りこみ、五十五名を斬り伏せた。」(昭和十二年十一月三十日・東京日々新聞)これらの記事が戦犯の証拠となった。
📓 佐藤振寿
「よく聞けば、野田は大隊副官だから、中国兵を斬るような白兵戦では作戦命令伝達などで忙しく、そんな暇はありません。向井も歩兵砲の小隊長だから、戦闘中は距離を測ったり射撃命令を出したり、百人斬りなんてできないのは明らかです」
(向井・野田両名を撮影した東京日々新聞カメラマン・佐藤振寿)
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📓 浅見毎日の記者とその家族は豪邸をGET
FYI The reporter of Mainichi Asami who wrote the article of 100 cut contest by Mukai & Noda , and his family were invited by Liao Chengzhi 廖承志 to live in China where they were given a luxurious house and his daughter went to Peking University
による英語からの翻訳
4) ご参考までに 向井・野田の100人切り競争の記事を書いた浅見毎日の記者とその家族は、廖承志から中国に招かれ、豪華な家を与えられ、娘は北京大学に通った。
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📓 百人斬り訴訟
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亡くなった祖父は終戦時軍曹で満州事変以降から終戦まで陸軍に所属していましたが、「軍刀は人1人切れば使い物にならなくなる、とても柔らかい刀だった」と申しておりました。官給品のことを話していたのですね。
仮に百人斬りがあったとしても、それは支那『 兵士』のこと。
The Boston Globe, Boston, Massachusetts Tue, Dec 14, 1937, Page 12
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