松井大将
松井大将は中国を深く愛された方でした。
Japanese leader in Nanking battle, Iwane Matsui #松井石根 is a good person with his high self-criticism standard, who ordered to protect civilians and told KMT to surrender, which was refused. による英語からの翻訳
南京戦の日本人
リーダーである松井石根#松井石根は、民間人の保護を命じ、KMTに降伏を命じたが拒否された。
自己批判の基準が高い善良な人物です。
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「因て予は南京入城翌日(十二月十七日)特に部下将校を集めて厳に之を叱責して善後の措置を要求し、犯罪者に対しては厳格なる処断の法を執るへき旨を厳命せり。然れとも戦闘の混雑中惹起せる是等の不祥事件を尽く充分に処断し能わさりし実情は已むなきことなり」(支那事変日誌抜粋/松井石根)
General Matsui ordered that civilians be protected and enemy soldiers who had lost the will to fight be treated with leniency. Starting on 12/14, the Japanese Army began separating soldiers from civilians; by 12/24, they were out of Nanking, leaving 4,000 guards behind.
による英語からの翻訳
松井将軍は、民間人を保護し、戦う意志を失った敵の兵士を寛大に扱うように命じました。 12/14から、日本軍は便衣兵士を民間人から分離し始めました。 日本兵は12月24日までに、南京を離れ、4,000人の警備員を残しました。
東京裁判の訴因45=1937年12月12日以後の南京攻撃による中華民国の一般人及び非武装軍隊の殺害。訴因45は訴因54に含まれるので、松井大将の判決では訴因45には触れられていないが、訴因54では無罪だった。即ち、松井大将は南京大虐殺の実行および命令者として有罪になっていない。
「彼(松井大将)は起訴中の五五訴因中、僅かひとつの訴因すら有罪であるという証明もできなかったのであります。松井大将は釈放されるべきでありました。」(東京裁判で松井大将の弁護人を務めたフロイド・J・マタイスから松井文子夫人への手紙)
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