『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』
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2012年
ISBN:4062881772
日本経団連の調査によると、日本企業の人事担当者が新卒採用にあたってもっとも重視している能力は、「語学力」ではなく、「コミュニケーション能力」です。ところが、その「コミュニケーション能力」とは何を指すのか、満足に答えられる人はきわめて稀であるというのが、実態ではないでしょうか。わかりあう、察しあう社会が中途半端に崩れていきつつある今、「コミュニケーション能力」とは何なのか、その答えを探し求めます。
―大反響! 絶賛の嵐!―
【阿川佐和子氏】
目からウロコ!「コミュニケーション」という言葉の周辺で
モヤモヤイライラしていたものが、一気に吹き飛ばされ、すっきりした気持になりました。
【谷川俊太郎氏】
これは掛値なしに「おもしろくてためになる」本です。私も初心に戻って日本語を考え直しました。
【鷲田清一氏】
他人と同じ気持ちになるのではなく、話せば話すほど他者との差異がより微細にわかるようになること
それがコミュニケーションだ。
【茂木健一郎氏】
他者との対話を通して、いのちが広がる。生きている実感がこみ上げる。厳しくも温かい、人間賛歌!
―いま、本当に必要なこと―
企業の英語公用語化が話題になっているため、誤解されている方が多いかもしれませんが、経団連の調査によりますと、企業が新卒採用にあたって最も重視している能力は、9年連続で「コミュニケーション能力」(80%超)がトップです。「語学力」はここ数年、6%程度に過ぎません。
たしかに中高年の多くの管理職の人たちは、「近頃の若者はコミュニケーション能力がない」と嘆いています。
しかし、近頃の若者に「コミュニケーション能力がない」というのは、本当なのでしょうか。
そもそも、現在、企業が要求するコミュニケーション能力とは、「グローバル・コミュニケーション・スキル」=「異文化理解能力」です。つまり、グローバルな経済環境の中においても価値観や文化が異なる人の意見を理解した上で、自らの考えを主張して説得したり、妥協点を見いだしたりすることができることです。
ところが、実は日本の企業は、自分たちも気がつかないうちに、別のコミュニケーション能力を求めています。それは、「上司の意図を察して機敏に行動する」「会議の空気を読んで反対意見はいわない」といった従来型のコミュニケーション能力です。
いま、就活をしている学生たちは、あきらかに二つの矛盾したコミュニケーション能力を同時に要求されています。しかも、何より始末に悪いのは、要求している側が、その矛盾に気がついていない点です。
なぜ、こうした事態が起こるのか――。
世間で求められているコミュニケーション能力とは何か
日本のコミュニケーション教育、国語教育でわかりあうことに重点を置きがち
わかりあえない中で、少しでも共有できる部分を見つけた喜び
その程度のこと
芸術家が学校現場に入っていく活動が広がっている
tks.icon今もそうなのか?
他のアジアの国はより盛ん
tks.icon本当か?
企業が求めるコミュニケーション能力はダブルバインド
自主性を求める一方で、ちゃんと報告しろと言う
表向きは異文化理解能力を求めている
実際は、日本社会における従来型のコミュニケーション能力「同調圧力」
日本の表現教育は、教師が子どもの首を絞めながら「表現しろ、表現しろ!」と言っているように見える
日本の子どもたちのコミュニケーションに関する問題
コミュニケーションに対する意欲の低下
→単語でしゃべる
家庭や学校で子どもの気持ちを察しすぎる
表現の必要がない
伝えたい気持ちは伝わらない経験からしか生まれない
コミュニケーション問題の顕在化
コミュニケーション能力の多様化
コミュニケーション能力が下がったのではなく、全体があがっているからこそ問題が顕在化している
どれだけ世の中のコミュニケーション能力があがっても一定数、口下手はいる
かつてはそういう人にも職があった
教育可能な話
理科の苦手な子、音楽の苦手な子と同様に、コミュニケーションの苦手な子という捉え方もできる
理科や音楽が苦手でも人格に問題があるとはならない
コミュニケーションも同じ
縦笛を吹くことができるくらいにはできる
それが義務教育
コミュニケーションも同じ
ペラペラと口のうまい子どもを作るのではなく、現代社会で生きていくための最低限の能力を身に付けさせる
コミュニケーション教育はその程度
過度な期待はしてはいけない
きちんと自己紹介ができる、必要に応じて大きな声が出せる程度
ライフスタイルの多様化の中で、大学に入るまで、親と教員以外の大人と話したことがない学生が一定数いる
就職に強いのは、体育会系かアルバイトをたくさんしてきた学生
=大人とのつきあいになれている
→慣れの問題
昔は現場で学んだという批判への応答
今は上下の関係ではなく対等な関係の中でのコミュニケーションが求められている
時代の変化
医者の卵が身近な人の死を経験したことがない
→体験して来いと言うか?
第二章
公教育は教えすぎる
フィクションということを受け入れてもらう
セリフは変えてもいいけど、そのあとの辻褄も合わせる
喋らないという表現も存在する
コミュニケーション教育は国語教育か
国語教師がコミュニケーションが得意とはかぎらない
正しい言語が存在するという前提を崩す必要が出てくる
第三章 ランダムをプログラミングする
アンドロイド演劇
人間が人間らしく見えるのはどう言った要素によるものか